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「ケケッ、えさダゾらーな」
魔女エレナの家の裏庭にて。
ラーナの目の前、正確には遥か斜め上には、糸で繋がれた、焼いた鶏肉の欠片がぷーら、ぷーらと揺れていた。
その向こうには、ニタニタと意地の悪い笑みでこちらを見下ろしながら、糸で鶏肉をぶら下げているインプの姿が見えた。
「…………。」
ラーナと呼ばれたカエルは、鶏肉とインプの表情を見つめて、口をへの字に曲げた。
元々は人間の少女で、腕のいい魔術師。今は魔女に捕まってカエルとして使い魔をやっているラーナにとって、インプ如きにニタニタと見下ろされるのも、鶏肉を取りにジャンプして舌を伸ばすのも、そしてそれを見られるのも、屈辱以外に何者でもなかった。
このインプ——ジースは魔女エレナの使い魔で、ラーナから見たら一応先輩にあたるのだけれど、何かとラーナをもてあそぼうとしてくる。
インプ(小悪魔)という魔物の性質と、ラーナがカエルとして使い魔になる切っ掛けの事を考えれば、当然ではあるが……。
けれど、それでもラーナ本人としては、目の前の鶏肉を食べたいという欲望があった。
辛うじて、『焼いた鶏肉』というのは人間らしい食べ物と言えなくも無いし、拒否した所で出てくる、あるいは自分で捕まえて食べられる物と言えば、ミミズや虫くらいの物なのだ。
カエルのラーナにとっては、例え塩コショウが振られていなくても、目の前の鶏肉は破格のご馳走と言えた。
意を決して、ラーナは自然とガニ股に座り込む姿勢で曲がっている後ろ足を思いっきり伸ばし、ジャンプして舌を伸ばした。
舌の先端が鶏肉を捕らえ、素早く引っ込んだ舌をカエルの大きな口がバクン、と収納して、一気に鶏肉を飲み込んだ。
ラーナは見事、空中で鶏肉を飲み込み、そのまま地面に前足から着地した。
上からジースの声が振ってくる。
「ケケケケ! オマエモ、モウ、チャントシタかえるダナ」
「うっさい! 私は私よ!!」
ラーナは反射的に言葉を返し、声の振ってくる上を見上げた。
「…う…」
カエルの口が大きくへの字に表情を歪めた。
ジャンプした影響で、ほぼジースの真下とも言える場所にラーナはいた。
ジースはインプで、人間よりも小さいと言えども、今のラーナからしてみれば巨人以上だ。
それに意図せず急接近して見上げた事により、いつもより遥かに威圧感を感じてしまった。そして、インプごときにすらそう感じてしまう『今』の自分を意識せざるをえない。
「ドシタ、らーな」
ジースが少し下がり、いつもの距離感で見下ろして、首を傾げた。
「何でもないわ! それよりほら、次!」
ラーナは意地を張った。カエルの頬袋をぷくーっと膨らませる。
こんなカエルらしい上、子供っぽい不満の表し方をしたくなかったが、カエルになってからというもの、こういう時は自然と頬が膨らんだ。
ジースは少し後ろに下がり、再び糸に鶏肉をくっつけてラーナの前にぶら下げた。
ラーナは余計な事を考えるのをやめ、再びジャンプして舌を伸ばした。
が、ひょい、とジースは糸を動かし、ラーナの舌は空を切った。
ラーナは舌を引っ込め、前足から着地してジースを見上げた。――舌を引っ込めるのも、ジャンプの後前足から着地するのも、不本意だが慣れたものになってしまった。
「ちょっと! 何すんのよ!」
「ケケケッ、ニゲルアイテモ、ツカマエロ」
前にジャンプして詰まった距離分、ジースは離れながらケタケタ笑う。
ケンカを売られた、いや、オモチャにする気満々なのだろう。
だが、自分でそこらの虫やミミズを捕まえるよりも、鶏肉は魅力的だ。腹具合もまだ少し、物足りない。
ラーナはカエルのぎょろりとした目を細めて、目の前でゆらゆら揺らされている鶏肉を凝視した。
「………。やっ!」
再びジャンプと共に舌を伸ばす、が、それもひょいとかわされる。
「このっ!」
更に飛ぶ、が、これも舌をかわされる。
けれども、これはラーナにとってはフェイント。1回目2回目よりも、ジャンプの距離はかなり短めで、着地が速い。
ラーナが着地した時、糸はジースの手から鶏肉まで真っ直ぐではなく、緩く曲がっている。――今なら、ジースは鶏肉を動かす事はできない。
「せっ!」
思いっきり飛んで、鶏肉を下にからめとり、食らいついた!
(はがっ!?!?)
が、ラーナが口の中に入れてもなお、糸が切れる事も取れる事も無く、ジースの手の中にぶら下がり続けた。
ラーナは口の中に衝撃を受けて、ぷらーん、とジースの垂らす糸にぶら下がる恰好となった。
「ケケッ、ツレタツレタ」
ジースは糸を持ち上げ、ラーナを顔の高さまで持ってくる。ニタァリと、インプの顔が嫌らしく歪んだ。
糸を取り換えている様子はなかったあたり、こっそり糸に防御魔法の類をかけたのだろう。
「………っ!」
ラーナはといえば、空中でジタバタと四肢をジタバタとする事しか出来なかった。糸に食らいついているため、空を見上げる恰好になってジースの顔すら見えない。
ジースは指でつつー、とラーナの白いお腹を撫でた。
(ひゃんっ!?)
素肌に直接触れるくすぐったさを感じて、ピクリとラーナは身じろぎする。
その後続くのは、素肌を、お腹をいきなり触られた事への恥ずかしさ。
ラーナは、今はただ一匹のカエルにすぎないわけで、当然、服の類は何も身に纏っていない。
そもそもカエルには必要ないし、カエル用の服などあるはずもない。
体を直接さわられると、嫌が応でも実感してしまう。……自分は今、裸なのだと。
年頃の女の子が、全身を隠す事無く、みっとも無くがに股で、エサをくわえて吊るされている。
つん、つんと繰り返し突かれれば、お腹の素肌をつつかれるくすぐったさと、自分の体全体がぷらーんぷらーんと糸で揺れ、エサを加えている口への負荷が上がった。
「ぷふぁ!」
思わず耐えきれず、口をカパッと開けたらラーナの体は真下へと落ちていく。
「いだっ!」
カエルの後ろ足だけでは衝撃に耐えきれず、ラーナはお尻を強かに打ち付け、そのまま後ろに倒れ込んでしまった。
四肢を広げて、お腹を見せる様に寝転んでいるラーナに対して、ジースが近づいて手を伸ばし、再び指でラーナのお腹に触れた。
今度はつつくというよりも、軽く抑えるようにだ。カエルの白くて丸いお腹をぷに、と軽く押す。
ラーナは顔を赤くして四肢をばたつかせる。―—緑色のカエルの顔では、赤くなっている事が分かりにくいが―—。
「は、はなせっ!」
ラーナはジタバタと四肢を動かすが、ジースの指はラーナを潰さず、かと言ってひっくり返ったラーナがどうあがいても起き上がれない、絶妙な力加減だった。
ケケ、と嫌らしい笑みで見下ろしてくるインプの顔が憎たらしい。
ぷっくりと膨らんだお腹の素肌を、それも真ん丸に膨らんだソレを触られるのは恥ずかしい。
素肌を触られている感覚もそうだが、全裸で地面に寝転んで、しかもカエル特有のガニマタでおっぴろげな下半身を、ジースのいる方向に向けている形になっているのも、女の子にあるまじき姿勢で恥ずかしく、プライドを傷つける。
「離しなさいってば!」
ガニ股で股を開いた姿勢を相手に向けているというのを、ジースに意識させたり、突っ込まれないためにも、ラーナはいっそう、四肢をジタバタとバタつかせた。
……最も、繰り返すがラーナは今はただのカエルでしかない以上、ガニ股で服を着ていないのは当然だし、ジースもただのインプだ。そういった性的な発想にそもそも至っているのかは分からない。ただ単にラーナの自意識過剰とも言えた。
けれども、ラーナはカエルでも、容姿に自信がある年頃の娘であったのだから、当然の自意識過剰ではある。
カエルの小さな体では、小悪魔の指先に対して無駄な抵抗と分かっていても、ラーナは全力で四肢を振り回した。
[newpage]
ラーナが無駄な抵抗を繰り返していたら、遠くから声が飛んできた。
「ジースぅ、ラーナちゃん、準備できたー?」
家の玄関から裏の庭に回ってくる様に歩いてきた、魔女エレナだった。
人間の時のラーナより幾分か歳は下の、濃茶の野暮ったい髪に、緑のローブにウィッチハットという、いつもの格好に加えて、四角い透明な容器の上に、取手をつけたカゴを持っていた。
元々ジースがラーナにエサやりをしていたのは、エレナが今日はラーナを連れて出かけるから、とジースに世話を焼く様に指示したのが元々だった。
普段なら、自分の食事くらい自分でなんとかしなければならない。…カエルの食事なんて虫かミミズか、だからこそ、今日の鶏肉が何としても食べたいご馳走だったのだけれど。
ラーナは仰向けに縫い止められたまま、声を上げた。
「ジースが中々食べさせてくれないの! ちょっと待って!」
「ええー? 使い魔がゴシュジンサマにちょっと待ってとか言う〜?」
「文句ならジースに言いなさいよ!」
「ちゃんとセンパイとは仲良くしなきゃ」
エレナは両手を腰に当てて、メッとラーナを叱りつけた。
ラーナはカエル特有の大きな口をへの字に曲げる事しか出来なかった。
「らーな、クチ、アケロ」
「へっ?! むぐっ!」
ジースが相変わらず指でラーナを押さえ付けたまま、反対の手で残った鶏肉のカケラをラーナの口へと詰め込んだ!
むぐむぐ、と思わずそのまま、鶏肉を食べていると、今度はジースはお腹を押さえつける拘束を解いたと思えば、ラーナの後ろ足を摘み上げて、ラーナを逆さに持ち上げた。
(!?!?っ)
突然の事にラーナは驚くが、咄嗟に口の中の鶏肉を落とさない様に口をつぐんだ。
宙吊りになって無様に広げられた後ろ足のガニ股を少しでも閉じようだとか、前足で股間を隠そうとする事も出来なかった。
「ジース、パ〜ス」
エレナの声が上がると、ジースはそのまま腕を振ってラーナをエレナに向けて放り投げた。
(っ!?)
ラーナの視界では、急速にエレナが近づいて来る。あっという間にエレナの着ている緑の布地しか見えなくなる。
ラーナはいつものカエルジャンプの時の様に、前足を前方に向けて、前足からの着地に備える。
けれど、目の前にあるのは地面ではなく、人の体と布の壁。小さな前足からぶつかろうとした所で、その柔らかさに頭から突っ込むのと変わらないぶつかり方となった。
エレナの体にぶつかって小さく跳ね返ったラーナは体制を崩して落ちていく。
地面に落ちるよりも遥かに短い落下で、ラーナの背中が何かにぶつかった。エレナの持っていた透明なカゴの中に落とされたらしい。
ここでようやく、ラーナはごくん、と口の中の鶏肉を飲み込んだ。
エレナはんふふー、と口元をにんまり笑うと、パタン、とカゴのフタを閉じた。フタは透明ではないが、細かく空気溝があって、上を見る事も出来そうだった。
「さて、それじゃあ行こっか。ラーナちゃん」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
ラーナは仰向けに寝転んだまま、四肢をばたつかせた。未だに、ひっくり返ったカエルはどうやって起き上がるのか分からない。無茶苦茶に四肢をバタつかせたらその内起き上がれるけれども、生まれもったカエルなら自然と起き上がり方も分かるのだろうか?
「だぁめ、使い魔は魔女を待たせちゃダメなんだよー」
「きゃっ!?」
エレナの動きに合わせて、カゴが揺れる。
ラーナはカゴの中をコロコロ転がって、お陰で仰向けからカエルらしい姿勢に戻れた。
透明なカゴの外を見ると、エレナはいつの間にかーー恐らく魔法でーー箒を持っていた。
カゴに付けられた取っ手の中に、箒の先っぽを潜らせて、それからエレナは箒に跨った。
透明なカゴに入れられているお陰で、透明な床の向こうに土と草の地面が見えた。ぷらぷらとカゴが揺れるのも相まって、不安定で恐怖をあおる。…カエルごときの重さと動きでどうにかなるような、もろいカゴではなさそう、だが……。
「そっれじゃあ、いっくよー!」
「わ、わわわっ!?」
エレナの明るい声を合図に、エレナと、箒と、ラーナの入ったカゴが浮き上がる。
揺れながらみるみる透明ではない地面が離れていく!!
ラーナは頭を下げ、前足に体重をのっけて、ひし、と透明な地面にへばりついた。まるで土下座でもしているかの様な感覚だった。
自然と目線の先は下になって、上昇する高さがありありと分かる。
ジースも、エレナたちの家も眼下に小さくなっていき、森の木々に守られる様に立つ魔女エレナの家と木の天辺が見えた。……たとえどれだけ頑丈な床でも、透明で下が見えてしまうのが恐ろしい。
ごくりと、ラーナの喉が鳴る。
ラーナは覚悟を決めた。元より、抵抗など出来ないのだ。それよりも、飛行が終わった時、少しでもプライドを保つために無様な事はするまいと。
木々を高さで勝ったからか、グン、と前に進み出した。カゴの中のラーナの遠慮を知らない速度だった。多分、エレナにとってのいつもの速度。揺れ方が変わり、激しくなる。
「ちょっ! きゃああああああ!!!」
ラーナはあまりの揺れと速度に悲鳴を上げて、ぎゅっと目を瞑った。覚悟が一瞬で砕け散りそうだ!
かなりの高度の中、透明なカゴが滅茶苦茶に揺れる!
がったんごっとん、と言いたげな程に揺れるカゴの中では、小さなカエルが地面にへばりつこうとしても無駄で、カゴの壁や床にラーナの体が打ち付けられる。
地面が遥か向こうにある程の高度の高さで、視界がぐちゃぐちゃに、小規模に体が浮いたり落ちたりを繰り返す事になっているのだから、視界から来る恐怖も恐ろしい。――透明な床や壁にぶち当たるたびに、下や横に思いっきり振り落とされて真っ逆さまに遥か上空から落ちていく事になるんじゃないかという景色だ。
——それでも、エレナはラーナの悲鳴に意を返さず、箒で空を突っ切って行った――。
[newpage]
「とうちゃ~くっ!」
エレナがどこかへと着陸した時、ラーナはぐったりとしていた。
透明なカゴの底に、ペタ―ンと四肢を伸ばしてうつむきになって、へばっていた。
当然、ここがどこで、どういうルートを辿って行ったのかも把握する所ではなく、何がなんだか分からない程にもみくちゃにされて透明なカゴの中で空を行く恐怖に耐えるだけで精一杯だった。
……このカエルの体は、自分が思っているよりもはるかに頑丈なのかもしれない。一応魔法で変じた姿である以上、そういう風にかけられている可能性だってある。
それはともかくとして、今は、漏らしたりしていない自分を褒めてやるべきかもしれない。透明なカゴの中だ。そんな事したら誤魔化しが一切きかない。
へろへろなラーナは、それでも何とか辺りを見渡した。
透明なカゴ越しに見える景色は、時刻は夕暮れ時で、どこかの森の開けた場所、といった趣きだった。
中央には炎を大きく焚くためか、木材が四角に組み立てる様に規則正しく置かれ、その向こうには、誰かが演説するための様な木台があり、そこには質の良さそうな絨毯が敷かれていた。
その更に向こうには、他の木々と比べてはるかに巨大な、森の長老とも言えそうな大木がそびえ立っていた。
けれども、それ以上に目を引いたのは、この場にやって来た『人』であった。
皆が皆、一様にとんがり帽子とローブを着込み、箒を手に持っているか、今まさに箒に乗ってやってきて、降りたっている所だった。
つまりはここは、魔女の集会場だろう。
魔女、とは、悪魔と契約して魔力と魔術を得た人物の事を指す。つまりは忌むべき人たちだ。
おどろおどろしい儀式でもするのかと、ラーナの大きな口が、ぎゅっとへの字に曲がった。
対してラーナは魔術師で、正統な訓練と知識の研鑚によって魔力と術を磨き、高みを目指す立場であり、魔術師としてのプライドで、魔女に対して見下す様な感情を持っていた。
あくまでラーナをカエルの使い魔にしたエレナが飛びぬけているだけで、並大抵の魔女には負ける気がしない。いくら悪魔と契約したとはいえ、その力は契約した悪魔と契約内容次第。
一人で何十人の悪魔と契約する事も、その悪魔の力の大半を契約で得る事も非現実的である以上、魔女の力は絶対的な物になりずらいはずなのだ。
だけど、…今のラーナはカエルで、使い魔で、自慢の魔力も全てエレナに使われている立場で、立場的にも大きさ的にも、見下される位置にいる。明らかにここに連れて来られたのも、他の魔女に見せるため……なのであろう。
現にエレナは、ラーナの入ったカゴを両手で持ち直して、ニッコニッコしている。
そんなエレナを見て、一人の魔女が近づいてきた。
「あら、エレナじゃない?」
ラーナは姿勢を正して声の主を見上げた。姿勢を正すといっても、カエルせんべいの様に潰れた姿勢から、如何にもカエルらしいお座りのポーズをしただけではあるが。
その魔女は、長い黒髪に、黒いとんがり帽子の妙齢の女性だった。
纏う黒衣装は豊満な胸元が開き、足元にはスリットが入ってすらりと綺麗な足をアピールしている。ローブというよりもドレスと言った方が良さそうな服だった。
妖艶な魔女、と聞いて思い浮かべるそのままみたいな魔女だ。と、ラーナは思った。
「そのカエルは? 新しい使い魔なんでしょうけど、わざわざここに連れて来るなんて、ただのカエルじゃないんでしょう?」
「うんっ。ラーナちゃん!」
エレナがニパッと笑って、ラーナの入ったカゴを突き出した。
急に地面が動いて悲鳴を上げたラーナを、黒の魔女が腰を曲げてまじまじと観察してくる。
「名前だけ言われても分からないわよ??」
「えっとねー。ボクが住んでるトコに入ったドロボーの魔術師さん。罰として使い魔にしてるの」
「………どろぼう?」
ピクリと、黒の魔女の形の良い眉が動いた。
「少し前の集会であったわよねぇ。魔術師が魔女の住処に忍び込んで、魔法の道具やら魔道書やらをごっそり盗む泥棒が」
「げこ…っ!」『え……っ』
ラーナは驚いた様に声を上げた。
とはいえ、今のラーナの声は、使い魔として契約が繋がっているエレナと、エレナの使い魔にしか聞こえず、カエルが一声鳴いた様にしか聞こえなかっただろうが。
黒の魔女の指が、つつー、と透明なカゴの壁を撫でた。
ラーナは思わず声を上げて後ずさりをしてしまった。カエルの四つ足だから、不格好な後ずさりだった。
実際ラーナはやっている。
『魔女』など、元々悪魔と契約する様な極悪人で、そこから盗み出したとして、咎められるいわれなんて無いし、そこから手に入った魔導書などに記載されたのは、しょせんは『技術』でしか無い。悪魔と契約せず、己の力で、『悪』にならない使い方をする分には何の問題もあるまい、というのがラーナの考えだった。
……とはいえそれは、魔女に捕まったりしなければ、の話。
「私も、入られて、ごっそり盗み出されたのよねぇ。魔力の込められた宝石と、魔道書を」
黒の魔女の見下ろす目は冷たい。
「あれ? クラリスが『そう』だって話は聞かなかったけど~?」
「泥棒に入られました、なんて、大々的に広める気なんてないわよ。恥ずかしい。
この子、金髪に真っ赤な服を着た小娘じゃなかった?」
「けろっ、けろっ、げこげこ……。」『……わたし、あなたに会った事はないはずだけど』
魔女の家に忍び込んだ時、たまたま留守だったケースもあったけれども、それだったら外見的な特徴は分からないはずだ。
「うん。ボクより年上な感じだけど、クラリスから見たらそうだね。でも、会った事ないはずだって。――メンドーだから会話できる様にしちゃうね?」
「げこっ!? げこげこけ——!」『いや、ちょっと待っ——!』
別に会話はしたくない! というラーナの意思は無視して、エレナが指で小さく何かを描けば、ラーナの喉元に魔法陣が現れて光った。
その魔法陣はすぐに消えたけれども、これで、会話できる様になったのだろうか?
「ここで最初の泥棒があったって報告があった時に、仕掛けておいたのよ。後で水晶玉で何が起こったかどうかが分かる仕掛けを。分かった? マヌケなド・ロ・ボ・ウちゃん?」
「私が間抜けなら、そんな私に盗まれるなんてあなたは大マヌケね」
得意げに、にんまりと笑う黒の魔女、クラリスの笑顔が凍り付く。
クラリスは顔を上げて、エレナを見た。
「エレナ、この子私にちょうだい?」
「ダ~メ、使い魔契約してるんだから、受け渡しは無理」
ぶっぶー、と唇を尖らせて、エレナは軽く拒否した。
クラリスの軽い頼み方に、ラーナはゾッと全身が鳥肌が立つのを感じ、エレナの言葉に内心胸を撫でおろした。
一応、使い魔として契約している以上、『主人』として、最低限守ったり、お世話したりはしようとしてくれている様だ。
幼い態度のエレナとこの透明なカゴが、囚われの証であると同時に、守ってくれる砦となってくれていた。
「ざぁんねん。――じゃあ、また機会を改めるとして。これだけはやらせてもらおうかしら?」
クラリスはおどける様に肩を竦めた後、黒のローブの袖から、一枚の札を取り出した。
札を持ったまま、一瞬、目を閉じた後、ペタリと、札をカゴの壁。右上に張り付けた。
何? とラーナがそちらに目を向ければ、札の裏側から、表に浮き上がっている絵が透けて見えた。
長い金髪に青い瞳、赤いローブを纏って勝気そうな笑みを浮かべた少女の、精巧な絵と、裏側から透けて見ているが故に、左右反転した文字が見えた。
『この者、魔女相手に泥棒を働き、カエルに変えられて使い魔となった大マヌケ ラーナ』
「ちょっと、コレ剥がしなさいよ!!」
ラーナは札のすぐ下にぴょんと移動して、右前足を上げて札を示した。
「あっははははは。いやぁよ。それに間違った事なんて書いてないも~ん」
クラリスは大きな声で笑い、満足そうな笑顔で首を振った。
ラーナは無駄とは分かっているが、両前足を持ち上げ、札に干渉するべく、札の裏側の透明な壁に触れた。
もちろん、カエルの前足が、ペタペタと、透明なカゴに触れるだけであったが……。
「うふふ、ラーナちゃん、そんな姿勢しちゃっていいのかしら? お胸もガニマタのお股も、ぜぇんぶ丸見えよ♪」
クラリスの声に、ラーナはハッとする。
壁の高い位置に前足をついて、まるでつかまり立ちの様な状態になっているが故に、がに股の後ろ足で立って、自分の裸の体を——もちろんただのカエルの体であるが――あっぴろげに見せている様な姿になっている事に。
ラーナは自分の頬が熱を持っているのを感じ、ぺたんと、前足を壁ではなく床に付けた。人間だったら顔が真っ赤であっただろう。
「あははっ。すっごくカエルらしくって、可愛らしいわ♪ 精々、その恰好で泥棒した魔女の所にごめんなさい行脚すればいいわ」
「………。」
ぷくーっと、ラーナの頬袋が膨らんだ。
「あら可愛らしい怒り方。――そうそうエレナ、次からもこの札張り付けたカゴで、ラーナちゃんを連れて来てちょうだい」
「うん、分かったーっ」
「ちょ、エレナ!!!」
ラーナはカゴの中で、後ろのエレナに抗議の声を上げる、が……。
「ラーナちゃんが痛めつけられたり、死んじゃったりするよーな事はダメだけど、これっくらいなら仕返しされてもしょーがないよね???」
返ってきた言葉はあっさりと、残酷だった。
クラリスは続ける。
「それから、この子が盗んだ物が今どこにあるのかが知りたいのだけれど」
「ん。聞いておいて、長に報告しとくね」
「……ちぇ~。全部根こそぎ回収しようと思ったのに……。
まぁいいわ。それじゃあよろしくね。
また会いましょう。ラーナちゃん♪」
……他の魔女から盗んだ物も手に入れようとしていた様だ。
黒の魔女クラリスは、ひらひらと手を振って、別の魔女の話にでも混じるのか、どこかへと行ってしまった。
「……さぁって、それじゃ、一通り見て回ろっか。ラーナちゃん」
後ろからにんまりとしたエレナの声。他にもラーナの泥棒の被害にあった魔女がいる以上、一通り報告する必要はあるだろう。……事もなげに言うエレナの声はどこか楽しそうに感じた。
[newpage]
それから、エレナは色々な魔女に話しかけた。
話しかけられなかった魔女の視線も、人間のラーナの絵が描かれた札の張ってあるカエルのカゴはよく注目を集めて、色々な魔女から注目を集めてさらし者となった。
隠れようにも、カゴは透明。張られた札の位置は高く、普通にしていたら正面からラーナは見れるし、カゴの中でぴょんぴょんと跳ねれば一瞬隠れられるが、普通にしていたら正面からは丸見えだった。……最も、隠れた所で横も透明なんだから、大した意味は無かっただろうが。
実際ラーナが泥棒を働いた魔女からの言葉も散々だった。
やれ、呪いをかけていい? だの、丸焼きにしたい。だの、薬の材料にしたい、悪魔に魂を捧げる生贄にしちゃえば? とか、一生このままにしちゃって私にちょうだい、なんてのもあった。
そのたびにエレナは、「ダメだよー。ラーナちゃんは今はボクの使い魔なんだから」と、明るく断っていて、カゴの中で震えるか虚勢を張るかしか出来ないラーナにとっては凄まじく頼りになる存在であった。
一段落ついた様で、この森の魔女の集会場とも呼べる場所に設置された、簡素な長椅子にエレナは腰掛けた。
もちろん、その膝の上には、ラーナの入った透明なカゴがある。
「………つ、疲れた……。」
ラーナはほとんど身動きはしていないが、それでも、さらし者にされ、直接おどしの様な言葉を投げかけられて緊張のしっぱなしだった。
体を脱力させて、この透明な床に寝そべりたかった。……とはいえ、カエルらしい姿勢よりも更に無様な情けない姿となるため、そこはグッとこらえて、ちゃんとした(カエルらしい)姿勢を保ち続けていた。
そこに、新たな魔女がゆっくりと近寄って来た。
「あの……エレナ、お願いがあるん、だけど……」
「ん? あ、ナンシーじゃん。ナンシーもラーナちゃんにドロボーされてたっけ??」
エレナの言葉に、ラーナはぴりっと気を張り詰めてその魔女を見た。
長い黒髪に、紺色のローブを纏った魔女だった。――けれども、パっと見は大した事無さそう。というのがラーナの第一印象だった。
長い黒髪という意味では、先のクラリスと同じではあるが、艶やかななクラリスとは違い、もっさりとした印象を受ける。ローブも、色っぽく妖艶さを演出していたクラリスとは違い、お洒落に興味が無いんじゃないかってくらい野暮ったい。
何より歳も、エレナとそう変わらない、ラーナから見ても年下なんじゃないかと予想できた。
紺色ローブの魔女、ナンシーはエレナの言葉にふるふると首を振った。
「う、うぅん、違くて。わたしは盗まれてないけど、そのぅ……」
じ、と視線はラーナに注がれた。エレナは無言で続きをうながしている。
なんだというのだ。
ラーナは見つめられて緊張した。いくら大した事が無さそうな、野暮ったい印象の引っ込み思案な魔女でも、魔女である。
そして透明なカゴに守られているとはいえ、10㎝程しかないカエルの姿をしたラーナにとっては、目の前の魔女はとてつもない大きさの巨人でもある。
間を置いて、意を決した風にナンシーは口を開いた。
「あ、あのっ、ラーナちゃんを触ってもいい!?」
「え、何で!?」
「いいよー? ナンシーなら変な事しないだろうし」
それは、カゴから出すという事で、ラーナにとっては守りの壁、砦を崩す事に他ならないお願いだった。
そんなお願いに、物凄くあっさりとエレナは頷いた。
「嫌よ! わたしの意思は!?」
「そんなの魔女ゆーせんに決まってるじゃん。しばらくお喋り禁止。ナンシーは臆病なんだから」
「げこげこ、けろっ! ——げこっ!」『そんなの私しらな——えっ!?』
クラリスの時にかけられた魔法が解除されたのか、ラーナの声が再びカエルの物となる。恐らく、エレナには今まで通り通じるのだろうが……。
そのままフタが開いて、エレナはむんずとラーナを背中からわし掴みにした。
「げろ…っ!」
急激に圧迫され、文字通り潰れた様な声しか上がらない。
そのままエレナは、両手を受け皿の様にしているナンシーの手の上にラーナを落とした。
べちゃ、とお腹から着地したけれど、ラーナは慌てて体勢を整えて、紺色の野暮ったい魔女を自然と見上げた。
「ふ、ふふふ…っ。ヒヒッ…!」
野暮ったい、と思ってはいたが、見上げた笑みは不気味なそれに、ラーナは思わず固まってしまった。
ひくついた笑みは、若いのに何故か、典型的な絵に描いたような老婆の魔女の邪悪な笑みを連想させた。
ナンシーは両手の平を傾けて、左手側にラーナを転がした。
「けろっ…!」『きゃっ…!』
文字通り手のひらの上で、それも固まっていた事もあってあっさり左手側に転がされて、ラーナは白いお腹を天に晒した様な格好になってしまう。
そのまま開いた右手の指で、つつーっとラーナの白いお腹を撫でた。
ラーナは思わず四肢をばたつかせる。
「ひひっ、落ち着いて…大丈夫……」
怪しい笑みでラーナを見下ろしたまま、今度は指でラーナの喉元を撫でた。
「げ……っ」
あくまで手付きは優しかった。喉を潰されて痛いとか呼吸ができないとかはない、ちょっと鳴きづらい程度。
犬や猫を撫でる時は、頭よりも喉を撫でるのが良いという。上からくる手に攻撃と勘違いされるからで、喉に手を伸ばした方が安心するとか。
……けれども、そんなのウソよ。とラーナは思った。
喉だって立派な急所だ。下手すると頭蓋骨で守られている頭部を狙うよりも楽に殺す事も苦しめる事もできる。
今だって、喉が苦しくならない様に、喉が潰れない様に、ラーナはピタリとじっとしている。
目の前の相手が初対面の見知らぬ相手という事もあるだろうが、だからこそ誰にでも人懐こいような飼い犬や飼い猫の気持ちは理解できそうにない。
「落ち着いた? おとなしい子…」
今度は頭を指で撫でられた。
ぎょろりとしたカエルの目の近くに指が来るものだから、思わずぎゅっと目をつぶってしまった。
前言撤回。なるほど確かに、頭を撫でられるというのは怖い。…目が外に出ているカエルだから余計に、なのかもしれない。
そして再び、指でお腹を撫でられた。
(ひゃんっ!?)
素肌を指で触られる、特有のくすぐったさに思わず身じろぎをしてしまう。
「ナンシーって、カエルとかヘビとか、ヤモリとかが好きなんだっけ??」
なんとなしにナンシーとラーナのスキンシップをながめていたエレナが口を挟んだ。
「け……ろ??」『なんで?』
ラーナが言うのも何だが、カエルなんて、ヘビもヤモリもかわいくないし、むしろ気持ち悪いだろう。
それらが『好き』というのが理解できなかった。
エレナが空気を読んで、首を傾げて同じ質問をした。
「でも、なんで~? 犬とか猫とかじゃなくって、そーゆーのなの??」
「……かわいすぎるから」
ポツリと、ナンシーはつぶやく様に答えた。
ラーナのお腹を撫でる手は止まらない。ラーナはくすぐったさに身じろぎしながら、続きの言葉を聞いていた。
「元気で、明るくて、全力で可愛くて……キラキラしすぎてて、嫌い」
……随分、うっ屈した『好き』だ。
こんな状況で無ければ、ため息を吐いて批判の一つでも言ってやりたい様な答えだと、ラーナは思う。
「カエルやヤモリは……なんかいい。キラキラしてないし、人に可愛がられようともせずに、勝手に生きてて……。それで、虫とか食べててえらい。助かる」
「あ~、カエルもヤモリも虫を食べてありがたがられるもんねぇ」
「けろ、げこっ!」
ラーナはくすぐったさに耐えて、カエルの大きな口をへの字に曲げた。
こちとら人に媚びを売る趣味は無いけれど、それでも人間の女の子として美容や見た目には凄く気を使ってたんだけど!
カエルにされたから、仕方なく食べられる物として虫を食べているのであって、そんな事評価なんかされたくないんだけど!!
「ぷっ、ふふっ、面白い顔……。」
けれども、怒った顔もにらめっこか何かだと思われた様で、ナンシーの陰気な笑みを誘っただけだった。
別に、極端に容姿が恵まれないワケでも無さそうだが、笑い方が可愛くない。髪も服も適当。
どういう人生を歩んできたのかは知らないが、好きになれそうにない。
「けろ、けろ、げこ、げここっ、げろっ!」『そんなに好きなら、自分で捕まえて使い魔にでも何でもすればいいじゃない!』
「ナンシーって、自分でカエルとか捕まえるのは苦手なんだっけ?」
「……うん、そう。……というか、どうすればいいのか分からない」
撫でる手が止まったナンシーを、じとー、っとした目で見上げた。
確かに運動神経とか無さそうだし、カエルやらトカゲやらを自然の中で探す能力も無さそうな印象だ。
だけど、少しぐらい調べるなりやってみるなりすれば良いのに。陰気で内気で行動しないとなれば、ラーナにとっては好きになれないタイプだった。
ラーナは自分を高める事に強い関心のある魔術師だ。
自分を高めれば、出来る事が増える。強くなれる。どこにでも行ける。金も名誉を手にする事だって出来る。
……それをやろうとせずうじうじしている人間は大嫌いだった。
ラーナは、これ以上喋るのを止めた。
そんな人に、手のひらの上で指で撫でられるのは屈辱だったが、ひたすらに耐える事にした。
「……本当に大人しくって、可愛い……」
好きで大人しくしてんじゃないわよ。カエル姿で可愛いだなんて言われたくないわ!
ラーナは心の中で毒づく。
もし、ここで逃げ出したらどうなるか?
エレナの保護が無い状態で、ラーナに恨みを持つ魔女に捕まったらどうなるか分かった物では無いし、使い魔としてエレナの役に立つ事が、ラーナがカエルから一刻も早く戻るための手段なのだ。
ラーナは今は屈辱に耐える事しか出来なかった。
幸い、魔女の集会が始まるまでの時間は後少しだったので、それも程なくして終わった。
集会が始まれば、ラーナはカゴに戻され、カゴに黒い布を被せられた。
魔女の秘伝を隠すためだろうか?
おどろおどろしい呪文や儀式の声や、呼ばれた悪魔たちの声、それから魔女たちの嬌声なんかが聞こえたが――正直、あまり聞いたり知りたいと思える内容ではなかった。
ラーナは自らの魔力と知識で術を使う『魔術師』で、悪魔と契約して借り物の力を使う『魔女』とは相容れない。
悪魔から伝授される、ラーナにとって未知なる魔女の『魔術』には興味はあるが、『悪魔と契約して力を借りる』『そのための儀式やら定期的に行う事』には興味は無かった。
聞きたくも見たくも無い事のため、目を閉じてさっさと眠る様に努めた。
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