共依存

  「……はぁ」

  公園のベンチに座り、ボーッと空を見ながら溜め息を漏らす。

  「……はぁー」

  「お前、うるさい。」

  隣には、俺が呼び出したパン屋の息子のハルが、呆れ顔で俺にパンを差し出していた。

  「つか、さっさと食え、冷めんだろ。」

  差し出されていたのはチョココロネ。

  「…はぁーぁ」

  「…要らねぇんだな。」

  ハルの言葉と共にチョココロネが変形し始めたから、慌ててハルの手から取り上げる。

  「わぁっ、潰すな…!」

  溢れ出したクリームを舌で舐めとっていると、ハルは心底気色悪いと言わんばかりに眉を寄せた。

  「普通にかぶりつけよ…」

  「ん、へへ…///」

  「きも…」

  「……帰りたくないな」

  俺がそう呟いたのは、ハルが持って来てくれたパンの半分以上を食べ終わった時だった。

  「うーるせーマジで。急に呼び出して、『ハル、パン食べたい』。

  俺はお前の執事かよ。そんなに欲しいなら店に買いに来いバカ。

  んで持って来たら溜め息ばっか吐きやがって。

  マジ耳につくからやめろ。

  何が気に入らねぇか知らねぇけど俺も暇じゃねぇんだよ。

  用が済んだなら帰るからな!

  お前も帰れ…。心配してるだろ」

  プンプンしながら帰って行くハルの背中に、俺は笑って言った。

  「ありがとう、ハル。」

  「……」

  片手を振って公園を出て行くハルを見送って、俺はゆっくりと歩き出した。

  「…貴和、おかえり」

  家に帰り、リビングを通り過ぎようとしたら、千秋さんに呼び止められた。

  いつも通りの口調に、少しほっとして…

  千秋さんの顔を見た瞬間、その僅かな安心は消えてしまった。

  目が、笑っていない。

  凍りついた瞳の奥には、何も浮かんでいなかった。

  「どこ行ってたの?」

  ……なんか、メンヘラみたい…。

  って、そんな事考えてる場合じゃなかった。

  「…塾に」

  「へぇ、そうなの。」

  人形のように首を上下に振ると、千秋さんは顎に手を当ててにこり、と綺麗に微笑んだ。

  「私、迎えに行ったんだよね。近くの塾生に聞いたら、今日は来てないって言われたの。」

  話している間も笑みは崩れることがなく、その笑顔が恐怖を煽った。

  「っぁ、のっ」

  「貴和は、どこの塾に行ってたのかなぁ。

  私に教えてくれたのとは別の塾かなぁ。」

  「ちぁ、き、さん……」

  「なら私に嘘を教えたのかな。

  それとも今日は、塾にも行っていなかったのかな?」

  「っぁ、あ……」

  何も言えなくなって、ただ千秋さんを見上げるしかない。

  千秋さんの瞳からGlareがゆっくりと俺に届き、ガクガクと震える膝を地面に付く。

  「っごめ、なさ……ちぁき、さん…ごめ…」

  「…貴和、」

  千秋さんの長い手が俺の頬に触れ、そこから顎に滑る。

  「お仕置き、だね」

  パシィン!バチン!パァン!

  「っう、ぁ……っひ……」

  パン!バチン!パァン!

  「ごぇ、なざ……ごめ、なさぃ……!」

  バチィン!パァン!バシン!

  「っひ…ぃ……ごぇんなざ……っうえぇ……」

  バシン!バチィン!パァン!

  「っうぅ……いだぁ……ご、めな……」

  バチィン!パァン!!

  「うわああぁ!!」

  怖い。怖い…。

  いつもと違うお仕置き…。

  だって、いつもは…こんなに力加減がされてない平手は落とされない…。

  こんなに太ももを狙った平手は落とされない…。

  こんなに……優しくないお仕置きは…今までなかった…。

  俺の事、嫌いになったのかな…。

  嘘なんて吐いたから…?

  悪い子だから……?

  ごめんなさい、ごめんなさい…

  千秋さん、ごめんなさい……。

  許してなんて言わないから…

  だからせめて、、声を聞かせて……。

  お願いだから…無言にならないで…。

  お説教がない時は厳しいって分かってたけど、、こんなに冷たいのは初めてで…。

  心が冷えていく。

  頭の中は痛みで混乱してパニックだし、心は塾をサボった罪悪感と千秋さんに嫌われたかもしれない不安でいっぱいだ。

  「っぅ……ひっ…」

  バチィン!パァン!パン!

  「うあ"あ"あぁ!!ゲホッケホ…ひっく……うえぇっ」

  泣き過ぎて頭が痛い…。

  喉も痛めたみたいだ。

  それでも…無情にも平手は落とされる。

  バチィン!パァン!パン!バチン!

  「っうぅ……えっぐ……ごぇなさ……ちあぎさ……」

  「……貴和、」

  お仕置きが始まってからどの位経ったかも分からなくなった時、千秋さんが口を開いた。

  「っひ、ぅ……」

  「…何がダメだった?」

  「っぅ……じゅく、サボって……」

  「うん」

  「しんぱ、かけ、た……っく」

  「そうだね。来てないって言われた時驚いたよ」

  「っん……ごめ、なさぃ……」

  「反省してる?」

  「したっ……」

  「そっか。じゃぁ、貴和。“Corner”」

  ヒュッと息を呑む音が、部屋に響いた気がした。

  「っあ、ぁ……」

  身体は素直に従うけど、心は大いに反抗した。

  だって、何で…

  終わりって雰囲気出てたのに、何で…?

  「っぃやぁ……千秋さ……」

  部屋の隅に立たされた俺が千秋さんを振り返ろうとした時、千秋さんの気配が動いた。

  「…貴和、“Shush”だよ。」

  Commandに従って口はぴたりとくっついた。

  ぐるぐると回る思考の中、俺は混乱ばかりしていた。

  そんな俺を、千秋さんは少し離れた場所で観察している。

  お仕置きの時にズボンも下着もどっかに行ったから、今は下半身が気になって仕方ない。

  つい、手を伸ばしてお尻に触れた瞬間─ピシリ。

  「っ!?ぃ……ったぁあ!!」

  お尻に触れた手の甲を何かで叩かれた。

  軽い音の割に痛みが鋭いそれは、ケインだった。

  普段見るようなやつより短いけど、あの細さは間違いなくケインだ。

  「…貴和、手、出して?」

  にこりと、どこまでも淀みない笑みで俺を追い詰めていく千秋さんが怖かった。

  瞳から溢れるGlareに従って、震える手を出したら、千秋さんが5回、俺の手の甲にケインを振り下ろした。

  ピシ。ピシリ。ピシ。

  「ぃい"っ……やぁ!……うっえぇ……」

  痛い、痛い…!

  「っごめなさ…ごめんなさいぃ!!」

  あまりの痛さに謝っても、知らないふりでケインを振り下ろす。

  ピシ。ピシリ!

  「うあ、あぁっ……!」

  「っひ、ひっく……」

  もう嫌だ…怖い…優しくない…怖い……。

  青ざめ震えて立っていたが、立ちくらみでふらつく。

  倒れると思った時、千秋さんが抱きとめてくれた。

  お仕置き中なのに…。

  「っぁ……ごめ、なさ……」

  慌てて離れようともがくと、千秋さんは俺を抱き締める力を強めた。

  混乱したまま固まっていると、千秋さんは小さく溜め息を吐いた。

  ビクリと身体が竦む。

  「っごめ、なs……んっ」

  また呆れさせたと謝った時、千秋さんが不意にキスをしてきた。

  「っん……ふ……」

  ふわふわとしてきて、その感覚に恐怖を覚える。

  それはきっと、まだお仕置き中だからで…。

  「…やっぱり、慣れないね。」

  「……ふ、へ…?」

  キスで息が上がったところに、千秋さんがポツリと呟く。

  「…はぁー。貴和にね、厳しくするの、慣れない。」

  いつの間にかリビングのソファーで、千秋さんの膝の上に座らせられて、ギュッて抱き締められている。

  まるで、愛おしいというように。

  背中や頭を撫でる手が、俺に対する愛を語っているようだった。

  「…っ」

  「…貴和。大好きだよ」

  「っ千秋さん……」

  今日の千秋さんは、やっぱりおかしい……怖いけど…好きって伝えてくれるのは嬉しい…。

  「…どこにも、、行かないでっ…?」

  俺の肩口に顔を埋め、強く俺を抱き締めた千秋さんがそう言う。

  「っ……行く訳、…ないじゃないですか…」

  気の所為だろうか。

  千秋さんの声が震えていたのは。

  俺の背中を撫でる手が、ピクリと震えたのは…。

  抱き締める力が、感覚を惜しむように、失うのを恐れるように、強くなったのは……。

  「…愛してるよ、貴和…。」

  掠れた声は、俺にしか届かない。

  俺が受け取らなかったら、この人は…。

  壊れてしまうだろうか…。

  依存していたのは、俺だけじゃなかった。

  千秋さんも、溺れるくらいに俺に依存していたんだ…。

  「……大丈夫ですよ……俺はどこにも行きません。

  ずっと、傍にいますから…」

  大丈夫。

  俺が支えるから。

  不安になっても、千秋さんとなら大丈夫なはずだから。

  もし壊れそうになったら、その時は一緒に、堕ちる所まで堕ちてみましょう?

  その先に何があるかなんて、誰も分からないんだから…。

  どんな場所でも、そこが例え闇でも、千秋さん、貴方の手を取れるなら、貴方の傍にいる事が出来るなら、俺の闇はいつだって、光になる。

  どうか、いつまでも、この手を離さないで。

  END