7話 ドヤ街インダスバウム ハーフエルフを狩る者たち4
バルティゴ連邦歴18年10月16日黄金の日。
アリスの死から4日が経った。
行動方針の決定と物資の準備などを終えたイチ達は行動に移す。
インダスバウムはスウィートバウムからそう遠くない。
ルーナハイムを起点とするなら、冒険者通りに出て道を南に進んでゆけばやがてその地域に足を踏み入れるだろう。
スウィートバウムからインダスバウムまでは中所得者向けの住宅と低所得者向けの住宅が混在しているが、インダスバウムに近づくにつれてわかりやすく低所得者向けの集合住宅が増えてゆく。
低所得者向けの住宅が増えると同時に小さな町工場が目立ってくるようになり、そこかしこで排気される灰色の水蒸気が通りに漂うようになる。
街が排気される水蒸気で瓦斯色に変われば、そこはもうインダスバウムだ。
「相変わらずですね。ここは。変わらないというか、なんというか……」
インダスバウムの中心で乗合馬車から降りるとイルハは咳き込んで胸当てに隠すように挟んだハンカチで口元を押さえた。慣れていなければこの町の排気ガスと独特の悪臭は耐え難い。
「私はだいぶ慣れたよ。イルハはあまりこういう場所、好きじゃないもんな」
そういうイチは実はこの街がそんなに苦手でない。それはもともと各地を旅してそれぞれ景色の違う街を見て回るのが好きというのもあるが、この街はこの街の良さを感じる。
確かにインダスバウムは酷い街であった。
昼なのに通りはやや暗い。
それは陽の光を遮る瓦斯のせいだけではない。
街の通りには物乞いや路上生活者が多い。
スウィートバウムと比べると驚くほどに。
そしてその路上生活者の中には子供も少なくない。
街の中には無数の工場と粗末なバラック建築群、多少の飯場と安酒場、そして意外と少なくない夜の店。
資材置き場では徹夜の労働に精もこんも尽きた男が酒瓶を片手に寝ている。
すえた匂いのする油で妙な肉のフライを作る屋台。
ここでは鮮度の落ちた肉や魚、もしくは芋が主な食事になるので大体の場合、油で揚げてから食べる。
そのままでは美味しく食べられるわけがないのでこの街ではニンニクとタマネギで作ったソースか塩をたっぷりかける。
イチは過去にその古い油で揚げられた塩味しかない肉のフライを食べて腹を壊した事があった。
自慢できるような顔でないのに身体だけは良い夜の女が我こそが世界で一番の美女だという顔つきでどこかの宿に入ってゆく。
町工場からは何か蒸気機械が忙しなく動く音が聞こえる。
そして工場と工場の隙間では何か不始末をやらかした子供の工員が中年の男に棒切れで打たれている。
いつもどおりの景色にイチは嫌な親しみを感じていた。その安心感はイチの中にも僅かにある頽廃的な親しみと、自分がその街に暮らしていないという、普通の人間にやむなく生まれる冷笑的感情、そしてある種の人間的自由の体現を感じさせるからだがイチにそれを具体的な言葉に変える舌はない。
対してイルハは単純にこの街が好きではない。
それは彼女が幼少から教わり大事にしている人としての美徳がこの街からはまるで感じないからだ。
「まるで魔族の鍋の中ですよ。ここは」
イルハは物乞いと目線を合わせないようにして時折懐を狙ってくるスリを警戒しながらイチにこぼした。
「鍋の中か。もしここが鍋の中だったら料理名はきっと残飯シチューだな」
イチは自分自身普段は考えつきもしないような黒いジョークに笑った。自分の口からそんな言葉が出てきた事に困惑しているのである。
この街を歩いているとどうやら舌にまで毒が回ってくるらしい。
「しかしな、イルハ。私は思うんだ。人はどんな場所だって生きていけるし、楽しくやれる奴だっているんだ。そう捨てたもんじゃないさ」
そう言いながら、ただ木箱を積み上げてカウンターにした野ざらしの酒場を通り過ぎる。
そこでは日の落ちないうちから子供も獣人も老人も夜の女も臭い酒を呷って笑いあっている。肴には古い油で揚げた川魚のフライと揚げたジャガイモ。それをケチャップと酢でベチャベチャにして食べている。
彼らは非番なのだろう。
この街では働けばその日の寝床と酔い潰れられるだけの酒と揚げ物と、運が良ければ異性が手に入る。
働いても手に入らないのは健康な将来と静かで綺麗な生活だけだ。
「僕にはわかりません。もっと彼らにも自分たちを良くするために出来ることだってあるでしょうに」
イルハは育ちが良い。裕福ではなく、貧しい村に生まれたが真面目な大人たちに囲まれてちゃんとした情操教育を受け、騎士の称号まで授かった。
イチの言葉を素直に受け取れない。
「喋りすぎると良くない。先を急ごう」
別にイチはイルハの考えを否定するつもりもなく、かといって同意もしなかったのでいったん会話を打ち切って拠点とする宿を目指す。
イチは歩きながらかつてこの街で育ったという鳥族の冒険者が言っていたことを思い出していた。
____ 「この町は悪くない町だ。自分より弱いやつ、自分より馬鹿な奴がいくらでも見つかるからな」
◆
二人はしばらくすると当面の拠点である「ホテル・オツカ」に着いた。トカゲ人族の不愛想な親爺に前払いで1拍分の宿泊費を渡すと粗末な部屋の鍵を受け取った。
「これは酷い」
イルハはその部屋の内装にゲンナリせざるを得なかった。
ホテル・オツカはホテルとは名ばかりの、木造3階建てでメインストリートにはある。
どうやら元々2階建ての家屋を無理やり建て増して3階建てにしているようで、壁のところどころが染みで汚れている、宿となる3階の部屋のドアを開けると悪臭が鼻を突き、壁を這うゴキブリを早速見つけた。
「野宿よりはましさ。一応シャワーもついている」
そう思ったイチだが、シャワールームを見てその感想が誤りだった事を思い知らされた。
シャワールームは木と粘土を固めて作られた便器が一緒になっているユニットバスだが、まず便器は汲み取り式で便器の蓋を開けると猛烈な悪臭がした。
シャワーらしきものが付いているが、天井から吊るしたバケツに蛇口がついているだけで、これをシャワーと言っていいのか甚だ怪しい。
しかもバケツの水を使うにも恐らく料金を取られるのだろう。
「野宿のほうがマシかもしれんな」
イチも流石に渋い顔をした。
「野宿なら近くに沢でもあれば少なくとも身体は綺麗にできますからね……」
「むう……」
部屋は狭く、文字通りベッドしかない。
こんな部屋だがイチは冒険者たちの噂で「少なくとも宿の親爺が客に悪さをしない」「部屋に藁が敷いてある宿よりはマシ」という評判があったのでこの宿を利用してみる事にしたが、予算が許すのであればもう少し良い宿を借りたかった。
(過去に利用した事のある手頃な宿は壊されて別の店になっていた)
「香を炊いて、シーツに薬を塗ろう。多少マシになるはずだ」
そう言いながらイチは冒険リュックを降ろすと中から殺虫のための香とシーツに塗る油を取り出した。
「しかし、一緒にベッドを使うんですね……」
イルハは仲間の女冒険者と寝た事がある。
まだ若いのもあって、ベッドを共にするのに妙な緊張があった。
「仕方ない、節約のためだよ。それよりイルハも手伝ってくれ」
そんなイルハの事情をイチは知らない。
宿の準備を済ませたらメイメイと合流しなければならないのだ。
実はメイメイは1日先にインダスバウムに潜伏している。
それは3人で行動しては目立つのと、メイメイがインダスバウムの出身だったので彼女が単独で行動しやすくする為である。
イチとイルハは部屋を整えて殺虫香を炊くと、部屋の鍵が万一破られた時のために罠を仕掛けて外へ出た。
イチが懐中時計を見ると正午を過ぎていた。
秋の季節なのに妙に蒸し暑かった。