大洋の孤島、キールリンク。
かつては霧の大陸の航路における補給拠点として機能していた街は、新航路の開発と造船技術の進歩により、栄枯盛衰の理に逆らえずにいる。
住民は別の島へと渡り、キールリンクの街は廃墟と化している。街外れのウェストウェスト灯台や街の大通り、高台の公園など、かつての美しい光景は見る影もなく、もはや再興の兆しはなかった。
キールリンクの廃墟の中を駆ける人影がある。
大きな腹を抱え、重たい身体を鼓舞しながら走る牝のゾロアーク、ニコルはヴィレムや時の守護者達の追跡から逃れようと、街の奥へと走っていた。ニコルの乳房は胎児を育むための母乳を蓄えており、その重さが彼女の脚をより遅くさせる。
「はぁ…はぁ…」
普段とは異なる身体状況がニコルの体力を著しく奪い、彼女の息は切れつつある。ニコルは息を整えるために脚を止め、廃墟の壁にもたれかかる。
脱出の際に持ち出した白いシーツは何処かで紛失し、時の歯車とディアルガの秘宝を収めたカバンのみがニコルの持ち物であった。
数日前、航海中の『ヴォセク』の船室にて、ヴィレムは時の歯車とディアルガの秘宝の力を使い、対象の時を進めるという術をニコルに施した。それにより、ニコルの胎で育ちつつあった胎児は瞬く間に急成長し、その重さと変化に耐えきれなかったニコルの身体は、思うように動かせなかった。
「はぁ…」
息を整えつつ、ニコルの視線は己の腹に向けられる。『ヴォセク』に連れ込まれる前は、僅かに膨らんでいるだけであったが、時の歯車とディアルガの秘宝の影響により、今のニコルの腹は臨月を迎えた状態になっている。
廃墟の壁にもたれかかったニコルは、息を整えつつ、辺りを見渡した。
「…」
理由は不明だが、『ヴォセク』の船上では船員の死体が見つかり、何者かが暴れている様子であった。また、桟橋に居た見張りは感電死しており、ニコルは脱出する機会を得た。
「…いったい、誰が戦っているの…」
額から汗を垂らし、息を整えたニコルは呟いた。ニコルが連れて来られたキールリンクは大洋にある無人の孤島であり、時の守護者とヴィレム以外に誰も居ない筈である。だが、船上で戦闘が発生しているという事は、時の守護者と敵対する者達がキールリンクに居るという事になる。
その存在に心当たりのあるニコルは、ポツリと呟いた。
「…カフカ…オズワルド…」
頼りになる仲間の名前を呟いたニコルは、その場で座り、大きな腹と共に膝を抱える。異常な状況下におかれたニコルの心は壊れつつあり、彼女は泣き出したい衝動に駆られた。
銃声が響き、ニコルの近くにある石畳にマスケット銃の弾丸が命中する。
それを見たニコルの顔は青ざめ、銃声が聞こえた方向に視線を向けた。ニコルの視線の先にはマスケット銃を構えた時の守護者達、そして彼らの肩を借りたヴィレムの姿がある。
ニコルに本で側頭部を殴られたヴィレムは、潰れた片目と頭の傷に白い包帯を巻き、赤黒い染みが滲み出ている。
ヴィレムは残った目でニコルを睨みつけ、怒気の籠った声で叫ぶ。
「グレーゴルぅ‼︎」
ヴィレムの怒りの声が響き、ニコルは慌てて立ち上がり、廃墟の中へと逃げ込む。直後、ヴィレムが引き連れた時の守護者達が駆け出し、ニコルの後を追いかける。
ヴィレムと時の守護者達は時渡りで別の時間軸に投げ出すためにキールリンクへと移動してきた。だが、時渡りに必要な時の歯車とディアルガの秘宝はニコルの手に渡り、彼らは脱出できずにいた。
『ヴォセク』に乗り、別の島に逃げ出そうにも、船のマストと操舵室が破壊され、『ヴォセク』は航行不能になっている。キールリンクの港の跡地の方向からは騎士団やオズワルド達がヴィレム達を追ってきており、彼らに一刻の猶予もなかった。
なにより、ニコルの胎にはヴィレムの中にある被験者達の魂を受け継いだ赤子、魂の器が育っている。己の中の被験者達の魂を受け継がせ、世界へ解き放ちたいと考えるヴィレムにとって、ニコルは逃してはならない獲物である。
ニコルは駆け続ける。
「はぁ…はぁ…」
昔は住民が住んでいたであろう、廃墟の中には机や椅子が置いてあり、壁や天井に開いた穴から夕日が注ぎ込む。オレンジ色の光が所々に差し込む空間を走るニコルの身体は重く、大きな腹と乳房が彼女の動きを阻害する。
ニコルは廃墟の中を駆け、細い通路に出た。
集合住宅の廊下として使われていた通路には、複数の扉が設置されており、ニコルはそれらを見渡した。
ニコルが走ってきた方向から、複数の足音が聞こえる。
「‼︎」
足音に気づいたニコルは慌てて壊れた扉の隙間を通り、室内へ入った。そこは誰かが寝室として使っていたのであろうか、薄汚れたベッドとテーブルが置いてある空間に出たニコルは、壁に設けられたクローゼットを開き、中を見渡した。
ニコルの視界に、クローゼットの端に開いた穴が映り込む。
それを見たニコルは重たい腹を労わりながら身を屈め、クローゼットの端に開いた穴を通る。その際、クローゼットの床に落ちていた箱の位置を動かし、穴が見えない様に箱を置いた。
ニコルはクローゼットの中を通過し、隣にある別の寝室へと避難した。震える脚を鼓舞し、ニコルは寝室内を歩き、扉の状態を確認した。
扉は板自体が歪んでおり、フレームに引っ掛かっていた。
扉が開かない事を確認したニコルは安堵の溜息をこぼし、床に座り込む。隣にカバンを置いたニコルの口から大きな息が漏れ、ドクドクと脈打つ心臓を落ち着かせる。
遠くの方から怒声と複数の足音が聞こえる。
それを耳にしたニコルは息を顰め、呼吸を整える。
ふと、ニコルは床に残された水跡に気がついた。雨水とは違い、ヌルヌルとした液体は真新しく、人気のない廃墟では見かけないものである。
液体はニコルの手や脚にも付着しており、それを見たニコルは怪訝そうな顔を浮かべる。だが、それの正体に気づいたニコルの顔が青白くなる。
液体の正体はニコルの膣から垂れた性液とヴィレムの精液が混ざり合ったもの、そして乳房から垂れた母乳であり、ヴィレム達から逃れるうちにそれらは地面に落下し、痕跡を残していた。
液体はクローゼットの中にも残っており、ニコルが逃げてきた通路の床にも残っていた。それは『ヴォセク』の船内から続いており、ヴィレム達はそれを頼りにニコルを追跡していた。
「…逃げないと…」
その事に気がついたニコルは、ヴィレム達に追いつかれる前に逃げようと脚に力を込めた。
「…痛っ⁉︎」
脚に力を込めた際、ニコルは誤って腹圧もかけてしまった。床に座り込んだ姿勢で腹圧をかけたニコルは激しい痛みを自覚し、動きを止めた。
「⁉︎」
腹部に痛みが広がり、ニコルは顔を顰める。直後、彼女の股間から水が流れ出し、廃墟の床を濡らす。痛みはますます強くなり、ニコルは呻き声を漏らす。
「うぅ…」
自身の身体の状態、『ヴォセク』から逃げ出し、走り続けた事、立ち上がるために腹圧をかけてしまった事、それらの事象が線で繋がり、ニコルの中で一つの結論に辿り着く。
「…まさか」
廃墟の中、ヴィレムや時の守護者達が迫り来る状況下でニコルは破水し、胎内の赤子が産まれようとしていた。その事を理解したニコルの顔は青ざめている。
「…何処か、安全なところに逃げないと…」
痛みを堪えつつ、ニコルは立ちあがろうとした。だが、痛みが強く、ニコルは顔を顰めて座り込んだ。
「痛ぅ…」
寝室内にニコルの呻き声が響く。直後、ニコルの身体から垂れた体液の跡を追ってきたヴィレム達が隣室に入ってくる音が聞こえた。
ニコルは身体を小さくさせ、身体を硬くさせる。
隣室ではヴィレム達が歩き回り、床に落ちた体液の跡を追う気配がする。
数秒後、クローゼットを開く音が聞こえた。
ニコルは息を呑み、自身の手で口を抑えた。だが、腹部に走る痛みのため、ニコルの口から微かな呻き声が漏れる。
「ぐっ…」
ニコルの声は小さなものであったが、壁の穴を通じてクローゼットの中に響いた。
直後、クローゼットに開いた穴が蹴り壊され、大きく開いた壁の穴からヴィレムが姿を現した。血が滲む包帯を頭と目に巻いたヴィレムは、床に座り込み、破水しているニコルを見下ろし、にんまりと狂気に満ちた笑みを見せる。
「見つけたぁ…」
ヴィレムは独り言を漏らし、室内に入ってきた。彼の後方から2人の守護者がついてきており、ヴィレムは「捕まえろ」と命令を下した。
守護者達は動けないニコルの両腕を掴み、その場で拘束する。
「うっ…」
既に逃げ出す体力もないニコルは呻き声を漏らし、乱れた息を整えようとする。だが、腹の痛みと股間の違和感により、ニコルは大きな呻き声を漏らした。
ニコルの声を聞いたヴィレムは狂気の笑みを浮かべ、口を開いた。
「あぁ、そうか…産まるのか」
ヴィレムの残された片目が、床に置かれたカバン、そしてニコルの股間と腹を眺め、彼は嬉しそうな声を漏らす。その姿を見上げたニコルは小さく息を吐き、恐怖で呼吸が止まる。
痛みと傷の熱で息が乱れているヴィレムは、ナイフを取り出し、ニコルに声をかける。
「ハニー…痛いだろう?俺が腹を裂いて、楽にしてやるよ」
ヴィレムは穏やかな口調で話し、ナイフの刃をニコルの膣に近づける。
「…いや、やめて…」
ニコルの哀願の声が漏れるが、ヴィレムは狂気の笑みでニコルの顔を見る。ニコルを取り押さえる守護者達もヴィレムの笑みに恐怖し、顔を引き攣らせる。
ヴィレムはニコルの膣を凝視し、声を上げる。
「あぁ…俺の子が産まれようとしている…俺達の魂を継いだ器が生まれようとしている…」
ナイフの刃が、ニコルの膣に当たる。冷たい金属の感触を覚えたニコルは、大きな瞳から大粒の涙をこぼす。
ヴィレムは舌舐めずりをし、口を開く。
「お前が従順だったならば…魂の器の孕み袋として使ってやるつもりだったが…もう要らない」
ヴィレムの唇が震え、喉の奥から声が漏れる。
「俺の…僕の…私の…儂の…あたしの…子が産まれる」
ヴィレムの口から多様な口調の声が漏れる。その姿を見た守護者達は、呆然とした表情を浮かべる。
だが、ニコルは知っていた。
ヴィレムとティトレリの魂は、ニコルとグレーテが開発した新薬の実験により死亡した被験者達の怨みの感情の集合体がベースになっている事を。
それは、ヴィレムの中に50人以上の被験者達の怨みが刻まれており、頭部の傷による痛みと熱に苦しむヴィレムの中から、彼らが姿を現しつつある事を。
ヴィレムの目が見開かれた。
「器は完成した」
ヴィレムは呟き、ナイフを握る腕に力を込めた。
激しい痛みがニコルを襲った。
*
キールリンクの大通り跡では、『ヴォセク』から撤退した時の守護者達と追撃する騎士団が交戦していた。
廃墟の陰に潜んだ守護者達は防衛線を張り、建物の上階にはライフル銃で武装した守護者もいる。対する騎士団の装備は剣や槍が中心であり、ボウガンや弓矢を携帯した者もいるが、圧倒的な火力差がある。
大通りに面した廃墟の入り口から防衛線を見たモローは、壁に命中した銃弾に怯み、身を隠した。
「…これは、かなり強固な陣形ですね」
モローの言葉を聞き、フランツとエミルは物陰から時の守護者達の防衛線を見た。直後、微かに動いたフランツ達の影に向けて、時の守護者達は発砲し、辺りに破片が飛び散る。
至近距離の着弾に怯んだフランツは身を隠し、モローに目を向ける。
「見たところ…連中は3-4組に分かれ、発砲と装弾を交互に行っているな…連中も馬鹿じゃない、ワイワイタウンやラムルタウンでの敗戦から、戦術を学んでいるようだな」
フランツの考えを聞き、モローは頷く。
「それでも交互に発砲すれば、弾丸や火薬をどんどん消耗します」
「…或いは、連中の目的地はこのキールリンクだから、惜しみなく消費している、とか…」
モローの意見に対してエミルが呟いた。彼女の言葉を聞き、モローは眉根を寄せる。
「…弾丸と火薬の消耗を恐れていないのなら、底を尽きるまで待つのが安全な手段ですが…その間に時渡りをされては意味がない」
「かと言って、この陣形に飛び込めば蜂の巣になるぞ」
モローの呟きに対してフランツが意見する。モローはそれに頷き、視線を空に向ける。
夕日はますます沈み、辺りは暗くなる。
灯りが限られる夜間の戦闘は危険なため、可能なら早期の決着を図りたい。しかし、そのためには時の守護者が敷いた防衛線に突撃する必要があり、死傷者が出る可能性が高い。
辺りを見渡したモローは低い声で呟く。
「…大砲か白煙弾があれば…敵を静かにできるが…しかし人質を巻き込む可能性もある…」
教会の攻城作戦ではオズワルド達が先行潜入し、人質の安全を確保した上で発煙弾の砲撃を行った。しかし、現状では人質の所在が不明なため、モローはどのように対策すべきか考えている。
やがて、考えが纏まったモローはエミルに目を向け、口を開いた。
「あなたの力で突入経路を作り出せませんか?」
モローに尋ねられたエミルは驚きの表情をみせる。フランツも同じく驚愕の顔を浮かべ、「人質はどうする?」とモローに尋ねた。
モローは時の守護者達の陣営を見ながら口を開く。
「我々が接近している事を敵は把握しています。ならば、今こそ人質を使い、我々の接近を喰い止めるべきです」
モローの発言から彼の意図を理解したフランツが、小声で応える。
「…今、人質が出てこないという事は…あそこに人質はいない、或いは既に死んでいるという事か」
フランツの言葉を聞き、モローは頷く。
「連中の目的は灯台まで退却し、時渡りを使い、未来の世界へ逃げる事…我々の撃破が目的ではありません。人質の存在をアピールし、我々の脚を遅くさせ、その間に灯台まで撤退する事こそが、連中にとっての最適解です」
「なるほど…」
モローの話を聞き、フランツが納得したように呟く。
フランツとモローの会話を聞いていたエミルは不安そうな顔を浮かべるが、モローの考えは理に叶っており、また他に打開案がなく、日暮れが近づいている以上、モローの作戦しかない事を理解している。
やがて、意を決したエミルは「わかりました」と言い、エネルギーを手に蓄える。エミルの手を見たモローは周りにいる騎士達に向かって声を張り上げる。
「伏せろ‼︎」
モローやフランツ、騎士達が防御姿勢を取った事を確認し、エミルは口を開く。
「…待っていてください、グレーゴルさん」
エミルは呟き、手に蓄えたエネルギーを解放した。
直後、草タイプの大技であるリーフストームが放たれ、大通りの廃墟の間をエネルギーの衝撃波が突き抜ける。リーフストームのエネルギーは凄まじく、廃墟は瞬く間に崩壊し、家財道具や建材、石材が辺りに飛び散る。
時の守護者達が作り上げた防衛線にもリーフストームが直撃する。
ある者は弾き飛ばされた家具や建材に押し潰され、ある者は屋根の崩落に巻き込まれる。高所に居た者は床が抜け落ち、床材と共に落下し、剥き出しになった建材に突き刺さった。
衝撃波は止まらない。
物陰に身を隠し、リーフストームをやり過ごそうとする者もいたが、間近を突き抜ける衝撃波は守護者達の臓器や脳神経、骨にダメージを与え、内臓破裂や脳挫傷など重篤な怪我を負う者が続出した。
大通りの跡地は崩壊し、周囲の廃墟が続々と崩れていく。その中から逃げ出した時の守護者達の姿を捉えたモローは、部下達に命令を下す。
「仕留めろ‼︎」
モローの命令を皮切りに、騎士達が物陰から飛び出し、守護者達に斬りかかる。多くの守護者は突然のリーフストームの惨劇に何が起きたのか把握できず、呆然とした足取りで大通りに出た。そこに騎士団の刃が肉薄し、守護者達は続々と討たれていった。
なかには状況を理解し、マスケット銃やライフル銃を構えて応戦しようとする者もいるが、リーフストームの衝撃により、歪んだ銃身は使い物にならず、なす術もなく騎士団に打ち取られた。
モローは先陣を切り、部下を率いて大通りを駆け抜け、戦意を失い撤退しつつある時の守護者達に襲いかかる。その間に他の騎士達は死にかけの守護者達にとどめを刺し、楽にさせていく。
「…すごい、あっという間に形勢が逆転したな」
その光景を見ていたフランツは力を出し切り、息が切れつつあるエミルを守り、騎士団についていく。
フランツとエミルの視線の先では、最後の守護者が討たれ、倒れていく様子が見えた。
*
キールリンクの廃墟を後にした団長とウルスラは、ウェストウェスト灯台の守りを騎士団に任せ、自分達はカイリューの高速便に乗り、ワイワイタウンへの帰路についた。
カイリュー達が吊り下げるゴンドラの窓からは、海に浮かぶ島々が凄まじい速度で後方に流れていく様子が見え、それを横目で見ていた団長は小さな溜息を漏らす。
団長の向かいに座っているウルスラは読んでいた本から視線をあげ、団長に目を向けた。
「何か思う事があるのか?」
ウルスラに尋ねられた団長は「えぇ」と返し、首を縦に振る。
団長は長年の想い人を脳裏に描いたように恍惚な表情を浮かべ、口を開いた。
「…ヴィレムの首を狩れなかったのが口惜しく…あの首を狩るためキールリンクまで来たのですよ」
物騒な言葉を口に出す団長を見て、ウルスラは呆れ顔で溜息をつく。
「確かに私達の手でアレの首を刈り取れないのは残念だが、それ以上の収穫があっただろう…私としては、この長旅の疲れを帳消しにできる以上の収穫だと思うよ」
ウルスラは脳裏にライラとリラ、エリスの顔を思い浮かべながら言った。ウルスラの言葉を聞いた団長は「そうですね」と呟き、視線を外に向ける。
団長の顔はいまだに晴れておらず、彼の横顔を見たウルスラは話題を変えるために、口を開く。
「…そういえば、アイツらは今後、どうするつもりなんだろうな」
何気なく呟いたウルスラの言葉を耳にした団長は、自身の顎に指を当て、ウルスラの顔を見ながら応える。
「ん〜、そこははっきりとしていませんが…自分達の預貯金を全て引き出しているので…まぁ、飢えることはないでしょう…落ち着いたら彼らから連絡してくるでしょうから、それを待ちましょう」
「…今は、何処に居るのかな?」
寂しそうな声で呟くウルスラの声を聞き、団長は楽しそうに笑う。彼の笑顔を見たウルスラは怪訝そうな表情を浮かべ、まじまじと団長の顔を見た。
「何処にいたとしたも、変わりません」
団長はゴンドラの窓から外を眺め、楽しそうに呟く。
「あの2人が共にいる、それだけで最強です」
団長は目を細めながら話す。
「…彼らが仲違いをした時は、さすがに心配しましたが…今は不要です」
団長は指先で窓枠をトントンと叩きながら微笑む。
「最強の2人が最強のコンビを再結成した…それも新たな身体で、ね…」
団長は静かな声で話す。
「それに…彼らは真の意味で繋がり合っている…2人の雰囲気を見たら、わかります」
突然、放たれた団長の言葉を聞き、ウルスラは目を丸くさせる。団長はそんなウルスラの変化を意に介さずに口を開き、話を続ける。
「あの奥手なライラから童貞臭さが消えました、間違いなく…2人はエッチな関係ですね」
団長はニヤリと笑いながら推理を披露する。だが、ウルスラは呆れ顔で「セクハラだぞ」と切り返し、横の座席に置いているボールを団長に投げつける。
団長はそれをキャッチし、にんまりと笑みを浮かべる。
「別に悪い事ではありませんよ、好き同士の牡と牝が共に過ごす内にエッチな関係になる…素敵ではないですか」
「…それは否定しないが、今後はTPOを考えて発言してくよれよ」
ウルスラの小言に対して団長は「もちろんです」と返し、笑顔を見せる。ゴンドラの窓から外を見た団長は、小さな声で独り言を漏らす。
「…今度こそ、互いを幸せにして、互いに幸せになってくださいね。泣かせたら許しませんよ」
ウルスラが「何か言ったか?」と尋ねるが、団長は首を左右に振り、和かな笑顔で外を見ていた。
暖かい夕日がゴンドラ内を照らし、団長の目元が緩んだ。
*
寝室に銃声が響いた。
床に金属製の薬莢が落ち、甲高い金属音が微かに広がる。
ニコルと守護者達が目を向けた先には、壁に開いた穴からライフル銃を構えたオズワルドが立っていた。外にいた守護者を殺害し、ライフルを奪い取ったオズワルドの放った銃弾はヴィレムの背中に命中し、胸椎を破壊した。
「がっ…」
ライフル弾で脊髄を断ち切られ、肺に穴を開けられたヴィレムは口から大量の血を吐き出し、ニコルに向かって倒れ込む。
「痛っ‼︎」
ヴィレムが倒れる際に彼の持つナイフがニコルの内腿を浅く斬り、その痛みでニコルは小さな悲鳴をあげた。
ヴィレムの身体はニコルの横に倒れ、微痙攣を繰り返していた。やがて、動きは止まり、辺りに血の海が広がる。
時の守護者達は呆然とした顔でヴィレムの死体とオズワルドを見比べたが、壁に開いた穴から寝室に飛び込んだカフカのナイフが、守護者の1人を斬り裂いた。
ナイフが頸動脈を斬り、鳩尾に切先が突き刺さる。
瞬く間に戦闘不能に陥った守護者は、床に倒れ、口から呻き声と水音を漏らす。その姿を見たもう1人の守護者はニコルの腕から手を離し、「降参だ‼︎」と命乞いの言葉を口にする。
だが、カフカの動きは止まらない。
別のナイフを取り出したカフカは、ナイフの先端で守護者の首筋を斬り裂き、ナイフを鳩尾に突き立てる。守護者の口から血と空気の塊が漏れ、身体が床に倒れる。
「…死にやがれ、クソ野郎が」
臨月の妊婦を拘束し、集団で危害を加えようとした守護者の死体を見下ろしたカフカは毒づいた。
辺りの安全を確認したオズワルドは寝室内に入り、ニコルの傍に座る。
彼らの姿を見たニコルは、汗と涙で汚れた顔を歪める。
「…オズワルド?カフカ?」
ニコルに名前を呼ばれた2人は頷き、優しい声で話しかける。
「大丈夫、助けに来ましたよ」
「夢じゃない、俺達はここにいるよ」
オズワルドとカフカの声を聞き、ニコルは涙を浮かべ、懸命に笑みを浮かべる。だが、ニコルは腹部に走る痛みに悲鳴をあげ、大きく息を吐き出す。
ニコルの様子から状況を即座に理解したカフカは、慌てた様子でオズワルドに叫ぶ。
「…おい、産まれるぞ‼︎」
ニコルがヴィレムの子を妊娠しているだけでも驚きだが、孤島の廃墟で産気付くという予想外の事態にカフカは慌てた声をあげる。だが、オズワルドは携行していたカバンを下ろし、中から乾いたタオルと包帯、消毒液、ハサミを取り出し、冷静な声でカフカに話す。
「落ち着いてください。産婆がいない以上、ここで取り上げるしかありません」
オズワルドの言葉を聞き、カフカは「マジかよ…」と小声を漏らした。対するオズワルドは自身の傷を手当てするために持ってきた物品を並べ、冷静な声でニコルに話しかける。
「…以前、×××が持っていた医学書を読んだことがあるので…流れは理解しています。ただ…細かいところはニコルが教えてください」
痛みに耐えるニコルはオズワルドの言葉を聞き、顔を歪めながら笑った。
「…確かに、医者はここに居るわね」
ニコルは目尻を緩めながら笑った。オズワルドはニコルに向かって微笑み、彼女の股の下に包帯を敷き、その上にタオルを置いた。オズワルドの横に立つカフカは慌てた様子で事の流れを見ており、あたふたと落ち着きのない様子である。
「…そうだ」
カフカはカバンを漁り、騎士団が使用する信号弾を取り出した。カフカは信号弾に火をつけ、割れた窓枠からパチンコで外に打ち出した。
廃墟の空に、色のついた帯が伸びる。
その間、オズワルドはニコルの股間を観察した。
「…頭が見えました」
オズワルドは冷静な口調で、ニコルに状況を伝える。ニコルは痛みに耐えつつ、声をあげる。
「…首に臍の緒は絡まっている?」
「いいえ、大丈夫です」
ニコルに問われたオズワルドは状況を確認し、即座に返答した。
「ぐっ…」
痛みでニコルは呻くが、息を吐き出し、次の指示を出す。
「…頭が落ちないように支えて、肩が出るのを待って…」
「はい」
ニコルに指示されたオズワルドは手を動かし、赤子の頭を優しく支える。直後、ニコルは汗だくの顔でいきみ、腹に力を込める。
室内にニコルの呻き声が響く。
それを耳にしたオズワルドだが、冷静な口調でニコルに報告する。
「…頭と肩が出ました」
オズワルドの声を聞き、ニコルは呻き声を上げながら、更に声を張り上げる。
「…頭を支えたまま、反対の肩が出るのを待って‼︎」
ニコルは叫び、息みながら全力で腹に力を込めた。直後、ニコルは全身の力が抜ける感覚を抱き、口から大量の空気と力が抜ける感覚を覚えた。
廃墟の中で、産声が響いた。
疲れと痛みで意識が遠のきかけたニコルの耳に、赤子の産声が届いた。ニコルが頭を動かし、視線を向けた先には身体を拭かれた赤子の姿があった。オズワルドは乾いたタオルで赤子を包み、消毒した鋏で臍の緒を切った。
緊張のあまり、額から汗を流したオズワルドは赤子を優しく抱き、ニコルに手渡した。
「おめでとうございます、ゾロアの女の子ですよ」
オズワルドの言葉を聞き、ニコルは疲弊したまま笑みを浮かべた。だが、彼女の意識は少しずつ遠のき、視界が暗くなっていく。
ニコルが最後に見た光景は、涙ぐむカフカとオズワルド、駆けつけた騎士団の姿であった。騎士団の中には衛生兵の姿があり、彼の手には『ヴォセク』から回収した医療キットが握られていた。
ニコルの視界が黒に染まった。