正字とは、康熙字典體の事である。清代に編纂された漢字字典であり、日本では明治時代に、楷書・活字の印刷書體の御手本(正字)として制定された。私はタイプライターや、パソコンの表示は今でもこの「康熙字典體」を使ふべきだと思つてゐる。又は、個人的に使ふのが良いと思つてゐる。良い點としては、臺灣の漢字がほぼ初見で讀める位のものであるが。
また、戰時中のどさくさに日本政府が略字を「當用漢字」として採用し、戰後に「常用漢字」として制定され、こちらが半ば「正字」の扱ひを受けてゐるといふ現状がある。
手書き文字に關しては、小學校の國語教育の一環として教へられてゐる。つまりは、「書寫」の硬筆と毛筆である。
因みに私はシナの「簡體字」を、漢字の筆記體と考へ、手書き文字に採用してゐる。漢字のコンセプト、「速く、正しく、美しく」の、速くを優先した形だ。手書きで康熙字典體を書くのは時間がかかり過ぎる。抑も正字とされた經緯(印刷文字の御手本)からして、手書き文字として採用するのは餘り好ましくない。勿論これは書いてはいけないといふ事では無く、宮澤賢治の手書き原稿等を見ると、康熙字典體が用ゐられてゐる。
本當は、楷書に對して行書と草書があるのだが、覺えるのが面倒臭い。とはいへ、さんずいは「波」の草書が「は」になつた經緯から連想して、「(」の樣な形で書いてゐる。また、ごんべんは、「i」の筆記體の樣な形で書いてゐる。實際の草書は、「(」と「i」のどちらがごんべんでさんずいかは、書き手や文脈によるらしいので、複雜に入り組んでゐる。ただまあ、毛筆で物を書くわけではないので、簡易的に「(」と「i」で良からうと思つてゐる。因みに、役所の文書で、住所とかを書く時に困る。
平假名は、草書が元になつてゐる。片仮名は部首など漢字の一部が元になつてゐる。また、草假名といふものもかつて存在し、「くずし字」とも呼ばれるものだが、みみずの樣であり、先のごんべんとさんずい以上に判別が難しい。ワンピースでいつたらロビン。つまり、古文書である。
楷書と行草書の話を續けると、七十七歳のことを「喜壽」といふ。これは、喜の草書がどう見ても「七十七」にしか見えない事から言はれてゐる。しかし、この喜の草書「七十七」が「楷書化」されると、「㐂、七七七」になる。私は、スロットの大當りみたいで、この字を氣に入つてゐる。🎰 實際、スロットで當りが出たら、皆喜ぶだらうし、合つてゐるよね。因みに、傘寿、卒壽も同じ理由である。
正假名とは、歷史的假名遣ひの事である。古くは平安時代に藤原定家が制定したといはれてゐる。定家は、百人一首の選者としても有名である。
江戸時代に、この「定家假名遣ひ」が、契沖によつて修正された。契沖は、萬葉集の注釈で有名な國學者であり、國學者の中でも五指に入る有名な人物である。
更にそれを本居宣長大人が修正し、ほぼ現在の形となつた。古典で習つた、係り結びの法則を發見したといはれてゐる。「ぞ、なむ、や、か、連體形。こそ、已然形。」のアレである。
古今傳授とかも、出鱈目が多かつたらしいしね。
また、『古事記傳』てふ大著によつて、それまで一部の神職しか讀まないマイナー文書だつた「古事記」を、鮮やかに復活させた男でもある。また、普段の講義では主に和歌や源氏物語を教へてをり、「もののあはれ」論の言ひだしつぺとしても有名である。これも、古典で習つたはず。「ますらをぶり」は、彼の師匠、賀茂真淵大人が「萬葉集」研究の成果として唱へた論だつた筈。そして、自分の生涯は萬葉研究に費やしてしまつたので、やりたい、又は眞にやらなければと思つてゐた古事記は貴方に託す、と言はれ、見事に達成したのが宣長主である。
偖、歷史的假名遣ひの書き方のコツは、終止形にある。「教える」の終止形は「教ふ」なので、「教へる」が正しい。見えるの終止形は「見ゆ」である。「聞こえる」「覚える」も「聞こゆ」「覚ゆ」であり、「報いる」なんかも「報ゆ」である。ヤ行は「やいゆえよ」なので、「見える」「聞こえる」「覚える」「報いる」は歷史的假名遣ひである。ヱビスビールは、英語でYebis Beerだが、「ヱ」はワ行である。「居る」、「率る」、「用ゐる」等がワ行である。居るが「ゐる」のせいで、「食べている」「見ている」等の「〜している」は全て、「〜してゐる」と書かなくてはならない。變換が面倒臭い。ヱヴァンゲリヲンやヱクセリオンなんかも、英語でワ行(w)と關係無いのに何か格好良いから使つてゐる不正な表記である。ヱビスビールとヱヴァは信じるな。
又、これは古事記傳で指摘されてゐたのだが、橋本進吉や山田孝雄といつた國語學者によつて「上代特殊假名遣ひ」てふものも發見された。上代とは上古(古代)で、主に奈良時代の事である。文學の世界では、古典を上代(上古)と中古(平安時代)に分ける。中古文學だからといつて、ブックオフを想像するのは筋違ひである。
偖、この特殊假名遣ひは、簡單に言つてしまへば、奈良時代には、母音が八つあつたといふ事である。「キ・ヒ・ミ ケ・ヘ・メ コ・ソ・ト・ノ・ヨ・ロ・(モ)」の十三文字は、萬葉假名の評価において奇妙な遣ひ分けがなされてをり、それはどうやら發音が異なるからだといふのが現在の結論である。この異なる二つの母音を甲類・乙類、又はkiとkï、kë、köの樣にウムラウト(¨)を伴つて表現する。
古事記は、折角宣長大人が解讀したのに、偽書説が學者達の間で囁かれてゐた。ごみ扱ひされてゐたのが、再び歷史のごみ箱に入れられやうとしてゐた。
然し、古事記には他の萬葉集や日本書紀には無い「モ」の使ひ分けが發見された。他にもしつかり八母音表記になつてをり、偽書説は現在ほぼ完全に否定されてゐる。因みにヲシテ文書なるものには、八母音の表記はなく、それ以外の理由も含め、江戸時代の偽書であるとされてゐる。
古い寫本が見つかつてゐないのが理由としては大きいか。古事記の最古の寫本は、大須觀音に所蔵されてゐたもので、室町時代のものである。マイナー文書だけあつて、平安以前のものは發見さへてゐない。それも偽書説が發生した理由だらうか。
日本書紀は日本の「正史」として、定期的に宮中で「講筵」と呼ばれる催しが行はれた。天皇と官僚が揃つて、日本紀を讀み、歷史認識を共有するといふ政治的なイベントであり、數十年おきに行はれた。又、講筵和歌と呼ばれる、打ち上げの時に詠まれた和歌みたいなものも殘つてゐる。
日本書紀は、續日本紀以降、五つの續編が書かれた。これを「五國史」といひ、又書紀を合はせて「六國史」と呼ぶ。これが日本の正史である。また、七つ目にあたる「新國史」は、當時天皇と上皇の深刻な對立があり、編纂時においても評價が定まつてをらず、完成しなかつたといはれてゐる。書きかけの断片は殘つてゐるらしいので、良かつたなあと思ひました。
偖。私の作品はこの正字正假名で書いてゐる。とはいへ、完全な正字正假名ではなく、意圖して「混ぜ書き」にしてゐる。正字正假名が良ければ、青空文庫を讀む時に便利な「旧字旧かな変換機」に突つ込めば良い。萬が一、どれかを出版するてふ事になつたらさうするだらう。又、康熙字典體(いはゆる舊字)や歷史的仮名遣ひが讀めない諸氏も、「変換機」を使へば良からう。ググれば出て來る。
私こと令和の清少納言が發掘してゐる、「枕草子」第334段以降は、縦置きを初期設定としてゐる。「日記」と「今昔物語」は、横置きの方が讀みやすいかと思はれる。スマホで左右のスワイプとかあんま使はんし、何處迄續くのか分からんくて、怠いからである。