10.心の落ち着かせ方

  「ごめんね……君は……誰かな…?」

  思考が停止して、ただ涙が頬を流れる。

  どうしたらいいか分からなくて、とりあえず俺はゆっくり千秋さんから離れた。

  「千秋!」

  後から入ってきた涼介さんも、千秋さんの状態に驚い…─「涼介、」

  …ぇ?

  「お前っ心配かけやがって、!」

  …何で…どうして…?

  「ごめん……“俺”…何で入院してるんだ…?」

  ……どうして、…涼介さんのことは覚えてるの…

  「…黒木…来い」

  海斗先生に呼ばれるけど、固まった身体は動かなくて、馬鹿みたいな顔をして千秋さんを見つめていた。

  「……ほら、おいで」

  優しくそう言われ、肩を抱き寄せられて病室から出た。

  その時さえも、視線は千秋さんの顔から離れなかった。

  「……」

  「……もう、我慢しなくていい」

  東棟の方まで呆然と歩いてきたけど、どうしたらいいかも分からず足を止めた俺に、海斗先生がそう言った。

  その一言で、呑み込んでいた全てが溢れ出てくる。

  「……っひ……ぅ"……ぁぁぁっっ」

  「……」

  「なん、で…っなんでぇ、っ……ちあ……げほげほ」

  「……」

  「ぢあぎさぁぁっっやだぁぁぁぁっっ!、」

  「……」

  海斗先生は、何も言わず、ただそばにいてくれた。

  時々背中をさすってくれた。

  なんで忘れちゃうの?

  ずっと待ってたのに

  ずっとずっと信じて待ってた

  目を覚ましてくれたのに…なんで忘れてるの…?

  千秋さんなのに……千秋さんなのに……

  「ふぅえぇっ……やだぁぁ……」

  千秋さんじゃないみたい。

  「ぁれ……たかじゃない?」

  「こら、指差すな」

  「たか〜!どしたの〜?

  四葉見つけた〜?」

  「呑気か」

  近付いてきた声と足音に、それでも顔を上げられずにいると、横からチラッと顔を覗いた翔が困ったように優しく笑った。

  「ありゃりゃ

  何があったの〜こんなに泣いて」

  よしよしと、抱き締められて、また涙を零す。

  「…どうしたんだ」

  ひいりさんの言葉にも何も言えず、ただただ泣いていた。

  海斗先生がひいりさんに説明しているのを感じながら、翔に話す。

  「っぐず…ちあ、きざんが……」

  「うんうん〜」

  「目、ざまじだのに…」

  「うんうん」

  「お、おれのっごど……わずれでるっっ

  うぇぇ……」

  「……そっかぁ…」

  翔は悲しそうに目を伏せて、俺の背中をトントンしてくれた。

  「うぁぁぁぁっ」

  「よーしよーし

  いっぱい泣いて辛いの、全部出しちゃお〜」

  「うわぁぁぁん!」

  それから、海斗先生とひいりさん達に慰められながら、俺はずっと泣いていた。

  身体中の水分が出てしまって、枯れ果てるんじゃないかってくらい。

  それでも、涙は止まらなかった。

  胸の中の苦しさが無くなるまで、俺は声を上げて泣いた。

  「……ん…」

  「ぁ、起きた!」

  「頭に響くだろうから静かにしてやれ、翔」

  「分かってるよ(*ˊᗜˋ)」

  目を覚ますと、病室のソファーの上だった。

  どうやら泣き疲れて眠った俺を、海斗先生がひいりさんの病室まで運んでくれたようだ。

  「おはよ〜

  大丈夫?」

  顔を覗き込んできた翔の顔をただ見つめていると、俺の横に回った翔にペットボトルを渡された。

  「いっぱい泣いたから水分足りないでしょ〜?

  冷たいお水飲も〜」

  ペットボトルを開けて水を口に含むと、思ったより喉が渇いていたのか、直ぐに半分ほど飲んでしまった。

  「フフ、よしよし」

  「…翔、」

  「だって可愛いじゃん

  お世話したくなっちゃう」

  「動物じゃねぇんだから…」

  「でも、頭撫でられるの嫌いじゃないでしょ?」

  そう聞かれて小さく頷く。

  確かに嫌いじゃない。

  むしろスキンシップは好きな方だ。

  それでも、千秋さんの手とは違う。

  言っても仕方ないことだから言わないけれど、長らく感じていることだった。

  「……海斗先生が目覚めたら話したいって言ってたぞ」

  ひいりさんの言葉に、俺は2人にお礼を言って病室を後にした。

  [newpage]

  先生に連れられて、泣いていた男の子が病室を出ていく。

  「……涼介」

  「ん?」

  「あの子は…?」

  千秋の言葉に、涼介は一瞬目を伏せてから、切なそうに言った。

  「……お前の、恋人だよ。」

  その言葉に、千秋は驚き、戸惑う。

  「ぇ……、、?

  でも……俺は…」

  千秋は同性愛に嫌悪感はないものの、未成年に手を出すような人ではなかった。

  「…未成年に手出す趣味ないんだけど……」

  呟かれた言葉に、涼介が寂しそうに笑った。

  「…そうだな」

  「…そもそも、俺、何で病院に?」

  千秋の疑問に涼介が答える。

  「事件に巻き込まれて、意識不明で搬送されたんだ。

  その後3ヶ月、昏睡状態だった。」

  「なんか…凄いね……」

  千秋が不安げな顔で涼介を見ると、涼介は愛斗先生を振り返った。

  「詳しいことは、月守先生が説明してくれる」

  その言葉に愛斗先生が前に出る。

  「神代さんは、さっき出ていった男の子を庇って、怪我をし、意識を失いここに運ばれてきました。

  長く昏睡状態だった為、体を動かすのに少しリハビリが必要ですが、その他の健康状態には、特に問題はありません。

  食事はゆっくりするようにお願いします。

  何かあれば、呼んでください。」

  仕事があるので失礼しますと、愛斗先生は看護師と退室して行った。

  「……そうだったんだ…」「…あぁ」

  少し沈黙が流れるが、千秋が口を開いた。

  「…やっぱ、気になるな…あの子」

  そう呟いた千秋に、涼介は切なそうに目を細める。

  「……スマホ、見てみたら?

  写真くらい撮ってあんだろ」

  涼介の言葉に、千秋は枕元にあったスマホを手に取る。

  ロック画面を開くと、見覚えのない写真。

  あの子と千秋が、幸せそうに笑っていた。

  (……)

  フォルダを開くと、たくさんの写真が…

  あの子の寝顔、仕事の資料、空の雲や虹、夕飯など

  けれど、そのどれも、覚えてないものばかり…

  「………どうした」

  「……わ、かんない…」

  「…大丈夫か?」

  「……あたま…いたぃ……っ」

  顔を歪めてそう言った千秋に、涼介は優しく身体を押して、横にならせた。

  「少し休め。無理して思い出そうとしなくていい。

  焦って悪かった」

  「うぅん……俺、…なんで覚えてないんだろ…」

  泣きそうなその声に、涼介は答えてやることが出来なかった。

  「……おやすみ」

  「…側にいて……」

  「あぁ」

  「ひとりに…しないで………」

  消え入るような願いに、涼介は千秋の頭を優しく撫でた。

  「……どこにも行かねぇ

  お前が黒木を思い出すまで、ずっとそばにいるよ」

  でもな、と胸の中で呟く。

  (………1番お前の隣にいたいのは、俺じゃないんだ

  “あの子”なんだよ、千秋…)

  だから…早く良くなれよな…

  涼介は、涙がぽたぽたとてのひらに落ちるのを感じながら、胸の痛みに耐えていた。

  続く