11.見出せない希望

  海斗先生を探して歩く途中で、千秋さんの病室の前を通った。

  緊張しながら通り過ぎた時、耳に笑い声が届いた。

  思わずドアの方を見て、後悔した。

  扉の隙間から見えた光景。

  それは、千秋さんと涼介さんが笑い合っているものだった。

  足を止めることなく通り過ぎ、角を曲がって思わずしゃがみ込む。

  胸の中で暴れるこの感情がなにか、俺は知らない。

  嫌に身体が強ばって、呼吸が浅くなる。

  胸に手を当てて呼吸を整えながら、俺は暫く千秋さんから離れようと思った。

  このまま見かける度に、勝手に傷付いていたら、俺自身も望まない結末が待っている気がしたから。

  「…あの…」

  その後も海斗先生を探して歩いていたが、どこにいるのか見当もつかないので、ナースステーションに行って看護師さんに聞いてみることにした。

  「はい、どうされました?」

  そう言って俺の前に来たのは、以前千秋さんの様子を見てくれていた看護師さんだった。

  「あら、いつもお見舞いに来てた子じゃない

  どうしたの?」

  「海斗先生ってどこか分かりますか」

  「あぁ、月守先生達なら、さっき内科病棟の方へ歩いて行ったわよ、2人で

  何かあった?呼んでこようか?」

  そう聞いた看護師さんに断って、俺は案内図を確認してから内科病棟を目指した。

  内科病棟のナースステーションで同じように聞くと、ちょうど目の前の病室にいると言われた。

  近くのソファーに座り、出てくるのを待っていると、少しして2人が出てきた。

  俺が立ち上がると、愛斗先生は手を振って手術室の方向へ歩いていく。

  「……待たせて悪いな。」

  「…いいえ…」

  海斗先生の言葉に緩く首を振った。

  「…目、覚めたのか」

  「…はい」

  「水分は摂ったか?」

  「はい…」

  「飯は」

  「…まだです……でも、、お腹なんて空いてな…「空いてなくても多少食っとけ。そうじゃないと、いつか倒れるぞ」

  海斗先生の言葉に反論出来ず、俯く。

  「…とりあえず、下の売店で何か買うか

  着いてこい」

  そう言って歩き出した海斗先生に、俺は遅れない程度にのろのろと着いて行った。

  『好きなもん買ってこい』

  そう言って俺に二千円札を渡した海斗先生は、売店の外のソファーに座って俺を待っているようだった。

  お腹が空いていない為、食べたいものもなく、店内を徘徊する。

  パンコーナーの横を通り過ぎた時、偶然目に止まったメロンパン。

  胸が苦しくなって、俺は逃げるようにシュークリームだけを買って海斗先生の元へ戻る。

  「早ぇな。

  何買ったんだ」

  「…シュークリーム」

  「……だけ?」

  「……(コク)」

  「…確かに好きなもん買えっつったけどな、飯になんねぇだろ」

  そう叱られて、俺は困って俯いた。

  「……はぁ…俺も飯買うから、戻るぞ」

  そう言って歩き出した海斗先生を目で追っていたら、怒ったような顔をして戻って来て、俺の手を引っ張って売店に戻って行く。

  「まずは、パンでもおにぎりでもいいけど主食選べ。」

  そう言われて、俺はおにぎりの前で立ち尽くす。

  少しして手に取ったのは鮭おにぎり。

  それを横で見ていた海斗先生は小さく頷き、俺をサラダコーナーへ連れて行く。

  「次は野菜。何でもいい、選べ

  バランスが大事だ」

  そう言われたが、俺は野菜が嫌いだ…。

  「……ぃ、いらない…」

  困ってそう言うと、海斗先生は少し眉を寄せた。

  「野菜嫌いなのか。じゃぁ、半分でいい。

  残りは俺が食う。

  …これなんてどうだ?タコと枝豆の白だし和え

  美味そうだな…アレルギーあるか?」

  首を振ると、海斗先生がカゴにサラダを放り込む。

  「…後は、飲み物か

  好きなの選んでこい

  それも、んな大事そうに持ってなくても誰も取って食わねぇから。かご入れろ」

  ずっと持っていたシュークリームを指摘され、少し赤面してかごに入れる。

  飲み物はカフェオレを選んだ。

  会計を済ませた海斗先生と、東棟に向かう。

  「…聞いてどうにかなるもんじゃねぇけど」

  ぼーっと海斗先生の後ろを歩いていたら、そんな声が聞こえて、俺は視線を上げた。

  「…大丈夫か」

  その言葉が、麻痺したような心に触れた気がして、俺は目を見開いた。

  夕方の風に冷えた頬に、涙が伝うのを感じながら首を振ると、頭に大きな手が乗る。

  言葉はなくても、優しさを感じた。

  「ここで食おう」

  空いている個室に入り、テーブルで食事をとる。

  袖で涙を拭い、少し鼻を啜っておにぎりを手に取ると、海斗先生がボックスティッシュをテーブルに置いてくれた。

  ありがたく鼻をかんでから食事をする。

  のんびり、何も考えずに食べているが、美味しさも何も、感じなかった。

  ずっと、心が麻痺してるみたいだ。

  いつもは嫌な野菜も、味がしなかったから少しは食べれた。

  見た目もあって3分の1くらい食べて、容器を置いた俺に、海斗先生は「食べれて偉いな」と褒めてくれた。

  それが医者なんだろうけど、優しいなと思う。

  後はぼーっと床を見つめていた。

  何も考えない。

  考えられない、の方が正しいのかな。

  この先のことは、浮かばなかった。

  食べ終わって少しして、海斗先生は大事な話があると言った。

  「……神代さんのことだが、」

  千秋さんの名前に、ビクリと肩が跳ねる。

  「もうわかってると思うが、記憶喪失だ」

  「……はい…」

  改めて突きつけられた現実に、目の前が暗くなる。

  「…黒木と会う前で、記憶が止まってる」

  唇を噛み締めた俺に、海斗先生が聞いた。

  「何か、聞きたいことはあるか

  可能な限り答える」

  俺は握り締めていた拳の力を抜いて、海斗先生を見つめた。

  「…記憶が戻ることは、あるんですか」

  その問いに、海斗先生は目を伏せる。

  「…なんとも言えない

  ふとした瞬間に戻ることもあるし、一生、戻らないこともある。」

  …もしも戻らなかったら、千秋さんは俺のことが分からないままなのか…

  部屋に沈黙が流れる。

  それを破ったのは、優しい海斗先生の声だった。

  「…黒木、酷いこと、言うぞ」

  そんな前置きされたくないけど、言ってくれるだけ優しいんだろうな。

  「…ずっと待ってたの、俺達は見てたから」

  その言葉に、じわりと目の前が滲む。

  握りしめた拳にぽたぽたと涙が落ちた。

  「こんなこと、言いたくもねぇけど…」

  海斗先生の視線を感じる。

  「…焦るな、黒木。」

  思ったより、ショックじゃなかった。

  でも、あまり希望がないように思えた。

  「思い出してもらおうとして焦ると、神代さんの脳に負担がかかるんだ。

  頭痛や発熱などの症状がよく見られる。

  気持ちは痛いほど分かるが…」

  ゆっくりと視線を上げた俺を真剣に見つめて、海斗先生が言う。

  「焦るな。ゆっくり、関わっていけ」

  零れる涙は、何を伝えたいのだろう。

  それは俺さえ分からないことだった。

  「……わかった…」

  ジンと痺れた頭に、自分の声だけが響いた。

  続く