第8話 「冒険者を舐めるなよ!」 触手なんて怖くない! 13
描写は少し前に戻させていただく。
イチがダンジョンスクイの女王に連れ去られた直後、アニスはすぐにでもイチを救いに行きたかったがひとまずダディスにも状況を説明し、何か知恵を借りる為に一旦洞窟を出る事にした。
直情的に洞窟の奥に駆けださなかったのを見るに、この短い期間で彼は成長したのだろう。
しかし、洞窟から抜け出たアニスが見たのは予想していなかった光景だった。
洞窟から出た場所の周囲には既に冒険者ギルドから派遣された7人の冒険者と職員のアルバート・フェンネルが待機しており、ダンジョンスクイを駆除するための前準備を始めていた。
どうやら先に出たダディスとシスタは治癒魔法使いに保護され、応急手当を受ける為に彼らが組み立てたテントに収容されているらしい。
「まさか、無事に戻ってくるとは思いませんでした。君も潜ったのですね」
状況を呑み込めず佇むアニスにアルバートが声をかけた。
彼らは周りの者が冒険者装束に身を包む中、白シャツとスラックスの事務員らしい服装で来ていた。
「これは…………どういう状況なんですか?」
「今、駆除部隊のうち魔法使いがマナの集中の為に向こうのテントで待機しています」
それからアルバートは今までアニスに説明していなかったダンジョンスクイ駆除の手順を説明した。
その説明を聞いたアニスの顔色はみるみるうちに青ざめていった。アルバートはそのアニスの様子に気が付く。
「それより一緒に潜った彼女は?」
「そうだ! イチさんがダンジョンスクイの女王に捕らえられてしまったんです! みなさんで助けてあげてください!」
「彼女が…………?」
アルバートはアニスが言った状況をどうにか飲み込むと複雑な顔をした。
まさか、イチがアニスの家族を全員無事に洞窟から生きたまま脱出させるとは思ってもいなかった。
どのような手段で困難を乗り越えたか、この時のアルバートには想像もできなかったが、イチのやった事が冒険者ギルドの単なる職員であるアルバートでも類を見ないほどの活躍である事はわかる。尊敬の念を感じないわけがない。
しかし、だからこそイチがダンジョンスクイの女王に捕らえられ洞窟の奥に引きずり込まれてしまったという事実が彼の心を苦しめた。
「残念ながら、救出は不可能です」
「どうしてですか!? こんなに冒険者がいるのに、おかしいじゃないですか!」
「君も洞窟に潜ったのならわかるでしょう? ダンジョンスクイを駆除するだけならそう難しい事ではないですが、ダンジョンスクイに捕らわれた者を無事に救助するのがいかに困難か」
アルバートの言った言葉の意味を、今のアニスであれば痛いほどわかる。
ダンジョンスクイは兵隊にしろ女王にしろ、1体の戦闘能力はたかが知れているが、洞窟のように複雑な地形で、尚且つ視界が満足に効かない場所で複数体を相手に戦った場合恐ろしい脅威と化す。
たといイチが一定数を駆除していたとしても、残された兵隊がどこに何匹いるか把握できなければアルバートからすれば依然として大きな脅威である。
「残念ながら、集まった冒険者達がイチさんの救出に首を縦にふらないでしょう」
「そんな……」
アニスは目の前が夜の暗さ以上に真っ暗になった気がした。
現代人の感覚からすると他の冒険者の態度はあまりにも不人情に思えるかもしれない。しかし、冒険者とは今でいう警察やレスキュー隊とはまるで違う。
彼らを依頼に駆り立てるのは第一に報酬である。
19世紀は冒険者達に博愛精神が生まれ始めている時代だったとは言え、冒険者に自分の身を危険に晒してまで見ず知らずの冒険者を救おうという気のあるものはそういない。
ここに集まった連中のうち、もしかすると数人はその限りではなかったのかもしれないが、たといそうであってもパーティの全員が首を縦に降らなければ意味はない。
「一応、みなさんに伺いを立ててみますが、期待しないでください」
「けど…………」
アニスは口ごもった後になんとか声を絞り出した。
「イチさんは戻ってくるって言ってました! だから、せめて待ってあげてください!」
アルバートはしばしどう答えたものか、アニスの涙ぐんだ瞳を眼鏡の奥から見て迷ったが、諦めたように息を吐きだすと口を開いた。
「予定を早める事はしませんが、夜明とともに作戦を決行します。それまでに戻ってくる事を祈りましょう」
そう言ってアルバートはアニスに背を向けた。
_____イチさん…………。妖精さん。どうか、イチさんを守って…………。
残されたアニスは洞窟の入り口で祈りを捧げるしかできなかった。
◆
ダンジョンスクイの女王は群れの長であり、女王が群れそのものと言っても過言ではない。
この怪物に哺乳類のような感情はあまりなく、その性質はどちらかと言えば昆虫に近い。
今回も奥底から自ら這い出てきたのは、別に配下の兵隊たちがイチに減らされた事に怒りや悲しみを感じたわけではなく、単に自分のテリトリーに何か異常が起きた事を感じて様子を見に来ただけであった。
その際、卵を産み付けるに適した中型哺乳類の雌がいたので、本能に従って捕らえて巣に連れ帰った。
そして今怪物の巨大な眼球は捕らえた雌の動物を見つめている。
そこに喜びなどはなく、徐々に気力を萎えさせていく獲物を見たとてある種の異常性癖者のように嗜虐心をくすぐられる事はなく、単に獲物の状態を見極めているだけにすぎない。
獲物の雌は、注入した体液を摂取し卵を受け入れるに適した状態になりつつある。
軽く触手の先端で身体を弄るだけで身をよじり、妙な昂ぶりを感じているようだった。
後は産卵管を突き刺し胎内に卵を産み付けるだけである。
あとは死なないように適度に栄養を与え続ければ多くの幼体を産む苗床になり、いずれ発狂して衰弱死するまでここで飼うだけだ。
怪物はついに産卵管の役割を持った触手を白い三角形の布の隙間から潜り込ませようとしていた。
この時、獲物は些細な抵抗として右脚だけは触手に捕らえられまいと必死に逃がしていたがそのうちに諦めるだろう。
ダンジョンスクイの女王はいつも通りの生殖行動を無機質に行うだけで、ただそれだけのはずだった。
しかし、
「冒険者を…………、」
イチは単なる雌の獲物ではない。
不屈の冒険者。……後にスカルブレイカー、「髑髏割りのイチ」と呼ばれる事になる不屈の冒険者だった。
「冒険者を舐めるなよ!」
イチは遂に右脚のブーツに仕込んだ仕掛けの作動に成功し、靴の踵から飛び出た毒針を自分を貼り付けにしている触手に突き刺した。
これは、ブーツの踵に仕込んだ特殊な鍵のような仕掛けで、つま先のほうにある金属製の突起を踵の鍵穴に差し込んで捻ることによって針が飛び出すようにしてある。
仕込んだ針にはゲロクソバカガイの毒が塗ってあり、この貝の毒は猛毒であらゆる種族に忌み嫌われており、そのためこのような名前がつけられたほどである。
ウジュジュ、
とイチを拘束していた触手たちが苦しみはじめ、イチは四肢の拘束から抜け出すことに成功した。
驚いたのはダンジョンスクイの女王である。
イチはカッ、と見開かれた女王の眼球に頑なに握りしめていたカーペイト15式の拳銃弾を全弾ぶち込んだ。
ジュジュッ、グジュジュ、
と女王の眼球に穿たれた銃創から赤い体液が吹き出す。
しかし触手類は元々生命力が高い種が多く、この女王も例外に漏れず、多少眼球を貫いただけで無力化はできない。
しかもイチは妙な毒を食らったせいで動きに鈍さを感じている。
それこそ集中力と闘志を少しでも途切れさせれば再び女王に捕らえられて今度こそ冒険の終わりが訪れるだろう。
イチの息は荒く、視界はぼやけ、身体を震わせながらも気力を研ぎ澄まして目の前の怪物に対峙している。
女王も自分に刃向かう者を決して許すまいと、視力を損ないながらも新たな触手を伸ばそうとしていた。
「こい! 戦ってやる!」
日の出には外にいる駆除部隊が火炎魔法によって全てを焼き払うだろう。
生命のタイムリミットが迫る中、イチの脱出を賭けた最後の抵抗が始まろうとしていた。