Scape wolf 1-3「赤い獣」

  「赤い獣」

  

  「よお、ブラム。さっきは、世話になったな」

  部屋に入ってくるなり、ルークは、そう言ってブラムを出迎えてくれた。

  顔色は悪いが、思いの外元気そうだ。

  「どういたしまして。それから、今度森に行くときは、僕かルーシーに必ず一声かけてからにしてよね?」

  ブラムは、そう言うと近くにあった椅子をルークが寝そべっているベッドの隣まで引き寄せ腰を落ち着けた。

  「まったくだよ! アンタ、ブラムがいなかったら今頃死んでいたんだよ?」

  そう言ったのは、すでに部屋の中にいたルークの母親だった。

  体長を崩したと言う彼の妹は、今父親の方が看病しているらしい。

  「この、バカせがれがっ!」

  ルークの母は、そう言いながら息子の頭に拳骨を喰らわせた。

  「まあまあ。生きていたんだから、良いじゃないか? ケガ人をいじめたら可愛そうだよ」

  ブラムは、彼女をたしなめながら言った。

  「そう言えば、あのヒトは、大丈夫なのか?」

  ルークは、殴られた頭を擦りながらブラムに尋ねた。

  「ああ、今ルーシーが治療しているよ。命に別状はないってさ」

  「そうか。良かった…」

  ブラムの答えに、ルークは、ほっと息をついた。

  ※

  「おーい、ブラムー。いるかー?」

  ルーシーの声を聞いた瞬間、ブラムは、安堵の溜息を洩らした。

  良かった。これで、何とかなりそうだ。

  ブラムは、すぐにルーシーの名を呼び居場所を知らせた。

  ルーシーがやって来ると、ブラムは、事の顛末を説明し、ルークか女性のうちどちらかを運んでほしいと頼んだ。

  「事情は、大体分かった」

  彼女は、ブラムの話が終わると、そう言った。

  「でも、そいつは、よそ者よ。こっちが、助ける義理はないし、そもそも村に入れて災いを持ち込まないとも限らない。

  相手が魔物ならなおさらね」

  「助ける義理は、あるよ」

  ブラムは、すぐに反論した。

  「見て」

  彼は、そう言うと、うつ伏せになって倒れているチノセパリックの身体を足でひっくり返した。

  肉が削り取られた胸が露わになる。真ん中ちょうど心臓のあたりにある刺し傷は、ついさっきブラムが短剣で刻んだモノだ。

  「この傷、剣や爪でできたモノじゃないでしょう? もっと複雑な形の刃物じゃなければ、こんな傷は、できない。

  例えば、そこにある剣みたいなね」

  そこまで言うと、ブラムは、人狼の女性の傍らに転がっているノコギリ型の剣を指し示した。

  「獲物を取り合っていたんじゃないのか? 人狼が人間を喰うのは珍しい事じゃない」

  ルーシーは、さらに反論を重ねた。

  だが、ブラムも引き下がるつもりはなかった。

  「でも、彼女がルークを助けたのは、事実だ。それに、いくら相手が魔物でも、死にかけたヒトを置いて行くのは、僕の流儀に反する。ルーシーだって、そう思うでしょう?」

  ブラムは、そこで言葉を切り、ルーシーの反応を待った。

  これ以上の時間の消費は、ルークにとっても人狼にとっても危険だ。

  もしも、ルーシーが、人狼を連れて行くことに反対したら、自分だけでもここに残ってできる限りの事はしよう。

  そこまで計画をを立てた時だった。

  「分かった」

  ルーシーは、ゆっくりと頷きながら言った。

  「ありがとう」

  ブラムは、深々と頭を下げると、すぐさま人狼の身体を抱き起した。

  ※

  トントン―。

  突然の物音に、ブラムは、物思いから現実に引き戻された。

  誰かが、部屋の扉をノックしたらしい。

  「はーい。どちらさん?」

  ルークの母が、扉の向こう側に向かって問いかけた。

  「ピーターだ。ブラムは、いるか?」

  「いるよ」

  訪問者の問いに、ブラムが代わって返事をした。

  「今そっちに行くね」

  彼は、そう言いながら、扉を開けた。

  ピーターは、腕を組み仁王立ちをしながら待っていた。

  「何か用かな?」

  ブラムがそう尋ねると、ピーターは、腕組みを解きながら話し始めた。

  「ルーシーからの伝言だ。女が目を覚ました、だそうだ。確かに伝えたからな」

  彼は、そう言うと、さっと立ち去ってしまった。

  「分かった。伝えてくれて、ありがとう」

  ブラムは、立ち去る男の背に向かって礼を言った。

  ピーターが、すっと手を上げ、それに答える。

  どいたしまして。

  口数の少ない彼らしい返答だ。

  ブラムは、思わず頬を緩めると、ルークの部屋に上体だけを入れ出かけることを告げると、その場を後にした。

  

  村の西端の人口の比較的少ない地区。ブラムとルーシーが暮らす小屋は、そんな場所に立っていた。

  日当たりの悪いこの地区は、人間にとっては、都合の悪い土地柄であったが、日の光が苦手なヴァンパイアである二人にとっては、住み心地の良い好立地であった。

  ブラムは、鍵を使って小屋の玄関を開けた。

  中では、ルーシーと人間の女性が、椅子に腰かけて彼を待っていた。

  女性の顔を見た瞬間、ブラムは、思わず息を飲んだ。

  綺麗だ。

  面長な輪郭、細い眉、アーモンド形の眼、スッキリとした鼻、豊かな唇、細い顎。

  絵画の世界から飛び出してきたのかと思うほどの美しさだ。

  灰色のショートヘアと黄色い瞳から、その女性が先程の人狼である事がすぐに分かった。

  それにしても美人だ。

  あの時の恐ろしい顔の狼と彼女が同一の存在であるとは、とても思えない。

  ブラムは、女性に対して感じたときめきを抑えながら、二人のいる方へ歩み寄った。

  女性の方を見たが、彼女は腕を組んだままブラムの方を見ようとしない。

  印象的だった赤いコートは、部屋の片隅に無造作に置かれていた。

  彼女が今着ているのは、ルーシーが普段寝間着として使っている麻のチュニックだ。

  広い襟からのぞく肩には、血の滲んだ包帯が巻かれていた。

  首には、使い古された様子のチョーカーが巻かれていた。

  「傷は、どう?」

  ブラムは、女性に尋ねた。

  「問題ない」

  女性は、前を見たまま答えた。

  「助けてもらったんだから、礼くらい言いなさいよ」

  そう言ったのは、ルーシーだった。

  彼女も女性と似た形のチュニックを纏っている。

  「助けてくれなど、言ってない」

  女性は、そう言うと、ルーシーの視線を避けるように首を捻った。

  場の空気が、ピンと張りつめる。

  ブラムは、すぐに仲裁に入った。

  「まあ、大事にならなくて良かったじゃないか」

  そう言いながら、近くのイスに腰を落ち着ける。

  「とにかく無事で何よりだよ。えっと…、何て呼べばいいかな?」

  ブラムは、女性に向かって言った。

  「マリ…」

  しばらくして。女性は、答えた。

  「偽名、でもないみたいね」

  ルーシーは、女性の顔をじっと見つめたままつぶやいた。

  ブラムは、その言葉を無視して話しを続けた。

  「マリか。聖母の名だね」

  その美しさに相応しい名前だ。

  言いかけた言葉をぐっと飲み込んだ。

  こんなことを言ったら、ルーシーにからかわれてしまうし、目の前の女性にまた睨まれるかもしれない。

  代わりに、ブラムは、自分のことについて話し始めた。

  「そう言えば、自己紹介が、まだだったね。

  僕は、エイブラハム。エイブラハム・ハーカー。

  皆は、ブラムって呼んでいる」

  と彼が、言った時だった。マリが、突然さっと顔を上げ、ブラムの顔を見た。

  その瞳には、驚きの色が瞬いていた。

  「エイブラハム…?」

  わずかに聞き取れるほどか細い声で彼女は囁いた。

  「んっ? 僕の名前が、どうかした?」

  ブラムがそう尋ねた時には、マリは、すでに真顔に戻って再び虚空を見つめ始めていた。

  「いや、何でもない」