「蛇姫」
オークの男につれられマリは牢屋を進んで行った。
彼女がいた牢は最奥にあったらしく、出口にたどり着くまでに複数の牢を横切った。
中にいるのは女子供ばかりで、皆一様に感情のない目で虚空を見つめていた。
自分も今こんな目をしているのだろうか。
マリは、捕らわれた人々の姿を眺めながらぼんやりと思った。
数日にわたる絶食状態のなか人間の断末魔を聞き続けたせいで彼女の精神は限界まで擦り切れていた。
加えて、先の介錯の儀式もある。
組織を転々とし様々なヒトと交わってきたが、根本は何一つ変わらない。
人間の生を取り戻そうと何度も研究を重ねた。
父から学んだ医術の知識で命を救うことで、命を奪った罪の上塗りをしようとした。
だが、全て無駄だった。
自分の魔物としての生は血と汚泥にまみれたモノだ。
「もう、疲れたな…」
マリはポツリとつぶやいた。
だが、その言葉に耳を傾ける者はいなかった。
牢屋からその部屋までは分かれ道のない一直線の廊下だった。
壁には頭蓋骨で作られたランタンが等間隔で掛けられ、間には処刑や拷問など惨たらしい場面を描いた絵画が飾れていた。
「悪趣味な装飾だな…」
マリは壁を見ながらつぶやいた。
ランタンや絵画がなかったとしても、額や蝋燭の光が派手すぎる上に壁はボロボロで貴人の住処にしてはあまりにもおざなりだ。
人間だった頃の記憶が、ふと蘇る。
街一番の外科医だった父は、診療所を兼ねた家を美しい芸術品で彩っていた。
彼自身それらを他人に露骨に自慢することはなかったが、当時のマリにとってはどれも素晴らしいモノに映った。
フェンリルが放った火でほとんどが焼失してしまったのが、今でも悔やまれて仕方ない。
マリは、目の前の残虐な絵画から無理矢理視線を引きはがし、オークの跡に続いた。
しばらくすると、目の前に大きな扉が現れた。
表面には道中の壁にあったモノと同じ目を背けたくなるような光景がレリーフとして彫られていた。
「遠い異境の地で行われている儀式の絵だ」
オークは、扉を見上げながら説明した。
マリは吐き気を堪えてレリーフを見た。
寝台のようなモノの上に人間が横たえられ、犬人に心臓を抜き取られている。
寝台からは血と思われる液体が滴り落ち、すぐ下の壺に注がれている。
「かの地の者は、他者の血肉を生きたまま喰らうことで、その者の命や力を得られると考えられている。
女王は、この儀式を模倣し今でも若さと美しさを保ち続けている」
「つまり、これから私はあの寝台の上の人間になるってことか」
オークの説明にマリはそう返した。
「そういうことだ」
彼は感情のない声で言うと、扉を押した。
扉は、良く手入れがなされているらしく、音もなく開いた。
「来い」
そう言ってオークは鎖を引いた。
マリは大人しく従い中に入った。
扉の向こうは、広いドーム状の部屋だった。
壁には、これまで見てきたモノと同じ趣向の装飾品が飾られ、上には金色の豪勢なシャンデリアが輝いていた。
全体的には良く手入れがなされているようだが、所々にこびりついた血の跡や匂いをマリの五感は見逃さなかった。
オークは、マリを引いたまま前へ進むと部屋の一画に設けられた壇の上で立ち止まった。
「上れ」
そう言って彼はマリを壇上に上がらせた。
短い階段を上り壇上に上がると一本の太い鉄製の杭が突き立てられているのが見えた。
オークの男は壇の下から慣れた手つきで手に持った鎖を杭に括り付けると、そのまま来た道を戻り部屋を出た。
マリは、しばらくの間彼の後姿を目で追いかけた。
「少しやつれた様だが、やはり間近で見ると美しいの」
男が部屋の扉をくぐり終えた時、突然後ろから声が聞こえた。
驚いて振り返ると、そこにはいつの間にか一人の魔物がいた。
一見すると、大きな蛇のようなだが、上半身の形は人間のそれに近く細く骨ばった腕もある。
魔物は身体を薄いシルクのドレスで覆い、全身を金や玉でできた装飾で飾り立てていた。
ラミア。
マリの中の記憶が呼び起された。
初陣の日、エレオノラを殺した魔物と同じ種族…。
彼女は、蛇人の口から垣間見える二本の牙を見た瞬間、捕えられる直前に自身の腕に喰らいついた大きな顎を思い出した。
「まさか、アンタが女王様だったとはね…」
マリは、震える身体を必死で抑えながら言った。
「外出は鱗に悪いので控えておるがの。今回は、お前のような美しい獲物を得ることでき、幸運であった」
蛇人は、そう言うとシューと独特の声を立てた。
どうやら笑っているらしい。
「そう言えば、自己紹介がまだだったの花嫁。
わらわは、バートリー。永遠を司り、いずれ絶対の存在となる者じゃ」
「できれば、一生お目にかかりたくなかったな。
それにしても、これから食い殺す相手に名前を名乗るのは、アンタの趣味なのか?」
マリはひたすら気丈に振る舞おうとした。
「趣味とは違う。わらわが喰らった者の血肉と魂は永遠にわらわの中で生き続ける。
これから、共に生きる魂に名を教えぬのは、無礼と言うモノであろう?」
「随分と…、趣味の良いこと…考えているじゃないか…」
限界だった。
言葉を話そうにも歯が勝手にガチガチなって上手くしゃべれない。
バートリーは、そんなマリの姿を見ながら意味ありげに笑みを浮かべた。
「それに。わらわは、おぬしをすぐに喰ったりはしない」
「…どう言うことだ?」
「先ほど、ある下僕から報告があってな。ここに二人の侵入者が入り込んだそうだ。
一人はヴァンパイアの青年、もう一人は異国の妖精と聞いている」
その言葉を聞いた瞬間、マリの中で絶望が広がった。
「まさか…」
バートリーは、気味の悪い笑みを浮かべながら舌なめずりをした。
「若い子どもと妖精の血肉は、極上の花嫁を味わう前の前菜として申し分ないないであろう?」