「変化」
「ずいぶんと静かだね…」
ブラムは辺りを見まわしながらつぶやいた。
彼の手には道標代わりの細剣が握られている。
「確かに、すこし妙ですね…。武器庫前での戦闘から敵襲もありませんし」
スヴェートは、そう言うと鼻先を指で撫でた。
「どうやら、向こうから歓迎してくるようですね。
もっとも普通の歓迎とは意味が異なるようですが」
「歓迎?」
「ええ、ある界隈では昔から妖精やヴァンパイアの肉体は様々な霊薬の材料として重宝されていましからね。
まあ、私としては、あまり受けたくない歓迎ですがね」
狐顔の妖精は、そう言うとギリリと歯ぎしりをした。
「僕も同感」
ブラムはうなずきながら同意すると、マリの剣の引力に従って歩き続けた。
しばらく進むと、二人の目の前に不気味なレリーフが彫られた巨大な扉が現れた。
剣の引力がより一層強まり、ブラムの手の中で生きているようにカタカタと震えはじめた。
「ここに、マリがいるみたいだね」
ブラムは、そう言いながら剣を近くの柱に立てかけた。
その瞬間、細剣は生気を失ったかのように動かなくなった。
「恐らく件の魔物もいるでしょうね」
スヴェートは、そう返答すると鎌の刃を展開し戦闘態勢になった。
「準備はいいですか、ブラム?」
「もちろん」
ブラムがそう答えると、扉が待っていたかのように独りでに開いた。
「僕が先行する」
彼はそう言うと二振りの剣を抜き足を前に進めた。
スヴェートもその後に続く。
「来るな!引き返せ!」
扉の中に入った途端、マリの叫び声が奥の方から聞こえた。
「もう遅い」
続けて、同じ方向から聞き覚えのない声がした。
次の瞬間、ブラムたちの背後で扉が再び勝手に閉まった。
だが、最初から引き返すつもりなどない。
ブラムとスヴェートは、閉ざされた扉を一瞥すると二つの声がした方に視線を移した。
マリは、狼の姿で部屋の一画の床が一段高くなったところに杭で犬のように繋がれていた。
そのすぐ後ろで蛇と人間を掛け合わせたような魔物が、とぐろを巻きながらブラムたちをいやらしい目つきで見つめていた。
「待っておったぞ、前菜たち。我が名はバートリー。
今宵は、お前たちの血肉を喰らい、新たな糧としよう」
大蛇はそう言うと、とぐろをほどき蛇体をくねらせながらマリを迂回して前に進み出た。
ブラムとスヴェートは武器を構えなおし魔物に向きあった。
「もっとも、その前に少し下準備をする必要があるようじゃがな。
何、血が出ないほどに軽く痛めつけるだけじゃから、そこまで恐れることはないぞ?」
そう言いながらバートーリは、近くの柱に飾られた長槍を手に取った。
彼女は、杖を扱うかのように石突で床を突くと、唾液に塗れた舌を出し蛇特有の鳴き声を上げた。
「では、遊戯を始めよう」
次の瞬間、バートリーの槍が横方向に振るわれた。
ブラムが、とっさに前に出て左手の短剣で槍を受け流す。
予想以上の衝撃に短剣が手の中から吹き飛んだが、彼は気にせず次の一手のため自由になった手に自身の魔力を注ぎ込んだ。
バートリーは、その一瞬の隙を突こうと槍を構えた。
だが、その瞬間後ろの殺気に気づいた。
スヴェートが普段の彼女からは想像できないような唸り声を上げ魔物の首目がけ鎌を振り落とした。
「チッ!」
バートリは、腕を上げ鎌を受け止める。
スヴェートはそのまま顔に蹴りを入れようとしたが、それよりも早く魔物の尾が背後から彼女の首に絡みついた。
太い尾に気道を塞がれた妖精は鎌から手を離し足をバタバタさせながらもがいた。
「面白い芸だったの。だが、もう終いじゃ。
このまま、絞め殺してお前から喰らってやろう」
バートリーは残虐な笑みを浮かべると、尾に力を込めた。
「くっ…あっ…」
スヴェートの悲痛な声が聞こえる。
その時だった。
「スヴェート!」
ブラムが、手に貯めた魔力をそのままバートリーの顔面に投げつけた。
「シャー!」
攻撃力のないただの光の玉。
しかし、相手の視界を一時的に塞ぐには十分だった。
尾の力が緩み、スヴェートの身体が地面へと落下する。
ブラムは、彼女の身体を受け止めると、バートリーの次の攻撃に備え身構えようとした。
その瞬間、何かが彼の横をかすめた。
スヴェートの足だった。
彼女の鶏に似た足に生えた蹴爪がバートリー顔の左半分を抉り、鱗と血が吹き飛んだ。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアア!」
バートリーは、蛇体をのたくらせながら後ろにジリジリと後退した。
よほど深く抉られたのか、もがいている内に顔を抑えていた手の中から目玉がボトリと床に落ちた。
ブラムは、魔物をそのままにしてスヴェートをマリのいる壇の下に運んだ。
彼女は、気を失ってグッタリしていた。
「ブラム!スヴェート!」
上からマリの声が聞こえた。
杭で繋がれた鎖の長さが足りないのか、壇の下からは彼女の顔の半分も見えない。
「僕は大丈夫」
ブラムは、そう答えると壇の上に登りマリの方へ近づいた。
何度も二人のもとへ行こうとしたのだろう。彼女の枷をはめられた首にはおびただしい数の擦り傷があり血が滲んでいた。
人狼の目には、不安と怒りが渦巻いていた。
「スヴェートは?」
マリは問いかけた。
「気を失ってる」
ブラムは、そう答えると魔法で作ったナイフで枷を切った。
「外傷はないけど、首をやられてる。僕がヤツと戦ってる間、彼女を見て欲しい」
彼の言葉にマリはうなずいた。
「それから…ごめん」
ブラムは続けてそう言うと、顔を彼女の肩に埋めると首に滲んだ血を舐めとった。
一回、二回、三回。
頬をかすめる黒い毛が逆立つことに罪悪感を覚えながらも彼は血を舐めとった。
しばらくすると、ブラムの髪が色素が抜けたような白に染まり始めた。
マリは、首にしがみつく彼の舌と頬の感触が変化していくのを感じた。
その時だった。
「おのれ。おのれおのれおのれおのれ!
私の顔をこんな風にしおって!
貴様ら、ただ済むと思うでないぞ!」
バートリーが、語気を荒げてこちらに向かっている。
魔物の顔は右の上半分が酷く損傷し見るに堪えない姿と化していた。
マリが再び毛を逆立てさせていると、ブラムがゆっくりと彼女を離し立ち上がった。
「お前の方こそ、ただで済むと思うなよ…」
彼は静かだが怒気をあらわにした声で言うと、魔物の方へ振り返った。
その顔は、人間的な特徴を失っていた。
耳は尖り、目の光彩は針のように細い。マリやスヴェートほどではないが口先もやや尖っていた。
ブラムは、黒い山猫のような姿に変わっていた。
「俺の家族を傷つけた罪を思い知れ、毒虫が!」
彼は、獣のような声で叫んだ。