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「失礼します」
ノックの後に引き戸が開く。
「見回り終わりました、氷蜴委員長」
入って来たのは、副委員長のドーベルマンか。
「ご苦労、最後にそのゴミ袋を運んでくれ」
「はい。委員長は、まだお帰りになられないのですか」
「ああ、もう少し残る」
エアコンの駆動音だけが響く新校舎でも静かなここは風紀委員会室。無毛の変温動物であるこの身には幾重もの防寒対策が必要になる。自ら増やした校則を護った上で。
「外套の着用を禁じたのは愚策だっただろうか。いや、私の決めた事だ。制服を隠せば学外の風紀が乱れ、学校の品位を落とす事になる」
戒めて、初めて得られるものもある。一点の曇りもない艶やかで無機質な身を包む制服も使用人にプレスさせたものだ。家のどこに行っても使用人の目があるものでは息も詰まる。
「父上も私を見張らせなくとも家を汚すつもりなど毛頭ないが」
風紀委員室の最奥へ設えられた窓から空を眺めるべく近づくと。映る、自分の顔。氷を思わせるその手でガラス窓に手をついて、その奥に居る過去の自分を睨んだ。
***
小学生の、自我がはっきり像を結んだ頃。良家の子息令嬢が集まる学校と家の往復、極力自室から出ないように言いつけられ友人と呼べる相手も居ない。ゆくゆくは競合相手に掛ける時間は惜しいとも言われてきた。
「今日の課題は終わったし、暇だな」
家に籠り与えられた本をただ読む日々を過ごしていた。自室の本棚に埋め尽くされた世界各国の文学作品に啓発書、父上や類縁が書いた書籍も混ざっている。唯一私の趣味で買ってもらった鉱物図鑑は印刷が少し剥げてきている。その『青燐の鷲』『甲羅の火』といった背表紙をなぞって行き、鉱物図鑑を引き出してソファに座る。
小さなテレビをラジオ代わりにつけて捲るページ、黒地にいくつもの写真と解説。ダイヤモンドをはじめとして並ぶサファイア、ベリルと。色の違いは不純物に由来する。
「透き通って綺麗なのに、不純物が無ければ無色なんだ」
柘榴石、菫青石。蛍石と氷晶石のページを越え、石英のアメトリンから関連鉱物のタイガーアイに変種の項目をパラパラ捲る。
「これは__」
オパール、先までの石とは異質なその石。赤青緑と異なる色がめらめらと溢れるそれは星雲か星海か、しかし透き通ってはいない。
『……この度の政策についてですが』
テレビに映るカメレオンは父上。ニュースで会見の一部を切り取られて放送されているのか。テレビだけが教えてくれる外の世界もカメレオンの体色もコロコロ変わる。……私には無いけれど。テレビの中の父上はフラッシュを浴びて堂々としているけれど家の中では寡黙で機嫌次第で立ち振る舞いを変えなければ何をされるか分からない。そして使用人なんてどれも一緒と言ってのけるのだ。
小学五年生のある日、自室に籠って本を読んでいるとノックが聞こえて。扉を開けると胸程のカメレオンが立っていた。
「お兄さん誰?トカゲだからこの家の人かな」
「君こそ誰」
「僕は[[rb:溢 > いつ]]。それより暇なら一緒に遊ぼうよ、父上の書斎で面白い物見つけたんだ」
無邪気に笑い尻尾を揺らす、純血に拘る我が家からすると親戚なのか。
「でも、私は自室から出るなと」
「そんなつまんないよ、僕には遊んでくれる兄弟も居ないし」
体色が深い碧に変化するこれは不機嫌の証、渦巻く罪悪感。
「あの石、おぱーるって言ってたかな。すごくキラキラしてて君にも見せたいって思っていたんだけどな。今日は父上も使用人も近くには居ないから大丈夫だよ」
「そ、それなら。私も付いていこうかな」
たちまち橄欖石みたいな黄緑色に変わり、手を引かれ始めて見る父上の書斎。
「ここが父上の書斎、鍵は掛かってなかったから入って」
暗く重い木造の扉を押して入ると、床に広がる臙脂の絨毯。左右にそびえる暗褐色の本棚にはハードカバーの難しそうな本が乱れなく詰まっている。目の前の立派な机と革張りの椅子、その柔らかな銀面に腰を下ろし机の上に載っていた箱を開いた。
「これが、本物のオパール!」
奥に見える黒の上に、遊び燃える鮮やかな焔は夜空に煌めく花火。柔らかな光を受けて斑に色が変わる、いつか見た万華鏡のようにコロコロと緑が黄、橙から藍色と移り行く。それは壁に掛けられた風景画の、水も青や無色でなく木々の枝葉を吸って染まっているかのようにも飴玉のわざとらしく色づけられた照りにも思える。
「父上!こちらです。僕の知らない人が書斎に入って__」
「澪。部屋を出るなと言ったはずだがどういった事だ。そ、それに私のコレクションを勝手に触って‼」
赤に変わるのは初めて見たが、たしかこれはこの上なく怒っている時の色だって『生物』の本に書いてあった。後ろに控える溢君も先の黄緑色に__はめたな。
「これだからアルビノは!次期当主は溢に決まっているんだ。お前は部屋から出てくるな」
手荒く手を掴まれ来た道を引きずられる。私の、意思はそこで断たれた。
それからというもの私は使用人を付けて別宅に住む事となった。『期待はしていないが氷蜴家に泥を塗るような事があってはならない』と言い渡されて。後に知った事として溢は実弟で、純血に拘ったゆえにアルビノが生まれやすくなっていたという事実も『生物』の本に書かれていた。
***
ガラスが軋み、慌てて手を放す。
「思えばこの身ゆえに……」
別宅に移ってから頼るものも支えてくれるものも居ない。傷つきたくないのに牙や爪を見せつけて平気な顔をしているイヌネコがいつ危害を加えるか。
「風紀を取り締まって居たが」
委員会活動で風紀が良くなれば先生方も認めてくれるのに。高校生活始まって以来あの蒼い目をした兄弟に振り回されて、あの蒼空に会ってからというもの計画が崩れて。
「次段階に繋がる途へ、進む前に成し遂げなければならない事がある」
風紀委員室の鍵を閉めて外に出る。思い通りにならない今年度の蒼空に朱嶺、大学受験を目前に最後の仕事を済ませないと。
ぶらり校庭を歩き、グラウンドではじゃれあうコーギーとライオンの姿。ユニフォームから陸上部だろうか、牙も隠さず危ない。学ランの裏に隠し持っていた金鑢を__見つからない
「何故?いや、あのゴミ袋に紛れていたのかもしれない」
渦巻く尻尾を普段よりきつく巻いて足早に石畳を歩く。
ゴミ置き場に着くと几帳面に並ぶゴミ袋。端にそっと置かれている、見慣れた金鑢。
「間違えて捨てるところだった__あれは……蒼空に朱嶺の弟の方」
旧校舎の方向に並び歩く、下級生たちに見覚えのない背中。ただ幾度となく委員会の犬達から報告されてきた怪しげな動きのある。
「白衣の狼、例の科学部か。卒業間際になって貴君を見つけることが出来た。これも運命」
手になじんだ道具はもはや身体のいちぶ。
「仕上げるか」
得物を手に一人嗤って、光の無い途を歩く。
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