その夜。
楠葉はなぜか寝付けぬ夜を過ごしていた。
講義に備えての勉強も一段落付き、幸いにして怪人達が動き出した気配も感じない。
もっとも、その気配があれば例え熟睡していても自動的に反応して目を覚ましてしまうのだが。
「ふう……」
瞳を閉じて寝返りを打っては目を開ける。このローテーションを何度繰り返しただろうか。
眠れない。なぜか眠る気がしない。
幸い明日は大学は休みでありバイトもない。
それにやろうと思えば一晩位なら起きていても平気な位の力は宿っているし外に出て一走り・ついでに「変身」すればそれなりに発散はできるだろう。
実際怪人達の気配に合わせて眠れない、寝付けない夜を過ごした事も一度や二度ではないのだ。
それでも―だからこそやはり眠りたい時はゆっくり眠りにつきたい。
そんなやるせなさが楠葉の中に満ちていた。
やるせない、そして落ち着かない。
イライラするとかざわつくとかそう言うものともまた違う何かがおさまらない。
それが何なのか、どうすればそれを鎮められるのかが今ひとつつかめない。
自分一人ではどうしようもないものをかかえながら楠葉は再び寝返りを打つ。
そんな中、楠葉の耳がドアノブが動く音を感知する。
「ラトゥーニ……?」
つい先日同居人となったクラスメートの名前が口を突いて出る。
そもそも彼女以外に今この時間自分の部屋を訪れる人物がいるはずもない。
楠葉は薄目で部屋の入り口に立っているであろうラトゥーニに向けその様子をうかがった。
「クスハ―どうやらあなたも眠れていない様子ね。残念だけど私だけではその理由の解明も対応もできないみたい」
暗がりの中ラトゥーニはいつもと変わらぬクールで理論的な口調でつぶやいた。
「だからクスハに意見を―と思ったけどやっぱりクスハも同じ様な状況だった。想定はしていたけど……」
その声を聞きながら楠葉の瞳は薄めから静かに開きより確かにその姿を捉える。
暗がりに隠れシルエットだけしか見えない中その瞳・そしてヘソの辺りが緑の光を浮かべている。
そしてそのスレンダーな体型が彼女が何一つ身に着けないままここに来ている事を確かなまでに示している。
その時ようやく楠葉は一連の奇妙な感覚の糸口がつかめた事を感じながら身を起こした。
ラトゥーニと同様瞳とヘソの辺りに紅い光が灯っている事、そして悶々と寝返りをうつ間に自分もまた全てを露わにしていた事に気づいたのはその後すぐの事だった……。
[newpage]
夜の闇と薄明かりの中で寝息を立てて眠りについている楠葉がいるはずのその場所で二体の異形の塊がその体を密着させてうごめいている。
その塊達はカサカサ・カタカタと固い物がこすれ合う様な異様な物音を暗がりと静けさに包まれた部屋一杯に響かせている。
カサカサと、カタカタと固い物同士がこすれ合う謎めいた音。
その中に混じり何か別の音も混じっている。
“はぁ……あぁ……はぁ……ふぅ……”
“う……あぁ……うぅ……あ……”
その塊から女性二人分の吐息に近い音―声が聞こえる。
声を上げ、体を揺らしながらその塊は密着し合っている。
よく見ると塊同士は両膝を立てた姿勢で座りながら直立した上半身を抱きしめあいながら静かに、かつ確かにその身をそらせすり寄せている。
二体の塊がすり寄せ合うたびにカタカタ・カサカサと音が響き、女性の吐息混じりの声が響く。
甘い官能と異様な活力に満ちた声。
“うぅ……あぁ……クスハ……大丈夫……うぅ……”
塊の一方が人間で言えば顔の辺りから一対の緑の光を浮かべつつ声をかける。
その先にいるもう一方の塊―同じく一対の赤い光が光る相手に向けて。
“あぁ……うぁ……ラトゥーニ……まだ……平気……んんっ……”
その塊もまた吐息を交えながらもなんとか確かな意識を持って答える。
そもそも楠葉とラトゥーニは同居人の関係になってからもいわゆる「肌を重ね合う仲」になったわけではない。
もっとも望む望まざるを問わず人並み以上に肌を見せ合いさらし合う関係ではあるがそれがそのまま「そう言う関係」に繋がるとも限らない。
そんな二人が今こうして異形の塊―緑のバッタ女の姿になって肌ならぬ外骨格を沿わせ合っているのもまた二人にとっては必ずしも望んでいる状況ではなかったのだ。
実際外骨格を重ね合うとは言え直接重ねているのは二人の腹部―宝玉のある位置であり二人が声を上げつつ揺らぐ体を抱きしめながら支えているのもその宝玉の共鳴のなせる技だった。
互いの体内に宿りし宝玉の異様なまでの活性化。
時期は異なれど二人が異形の姿に変わる力を得る切っ掛けとも言える宝玉が異様なまでの力を二人の体に流している。
それを自覚するまでの時間の遅さに対しそれからの二人の反応はあまりにも早かった。
導かれる様に、求める様にその素肌を緑の外骨格に。
恥じらいと戸惑い、そして多少の恍惚を交えた乙女の素顔を鋭い一対の触覚と大きなアゴをたたえた異形の顔に。
タイプは異なれども相応に美人と言われる様な人の姿を異様な緑のバッタ女の姿へと流れる様に作り変えながら二人は互いの体―宝玉を静かに沿わせていた。
それぞれの体を昂ぶらせるほどに力に満ちていた赤と緑の宝玉は沿い合い重なり合う事で互いを響かせあい互いを宿す二人の体一杯にその力を満たしていく。
二人の体中に覆い張り巡らされた神経と筋肉の繊維を力の奔流が昂ぶり駆け抜ける。
その度に繊維は膨張と収縮を繰り返しそれを覆う外骨格が震え全身が大きく揺れ動く。
宝玉の事を自覚してからより強く体の中でみなぎっていた熱い力の流れが共鳴により激しさを増す楠葉とラトゥーニは必死でその流れをこらえつつも受け止めていた。
もしこの力に飲み込まれてしまったら自分達はどうなるのか。
いつもの変身とはまた異なる形でみなぎっていく力がもたらす快感だけではない幸福感・そしてそれにともなく苦痛ともまた違う抵抗感がせめぎ合う中二人は宝玉を沿わせ合いながらも
必死でその体を抱きしめつなぎ止める。
あたかもその力に互いがはね飛ばされるのを止めようとするかの様に。
もし二人の中を流れる力の流れを可視化できれば異形の外骨格と筋肉・神経繊維の中で激しく揺らめく女性のシルエットが浮かぶかも知れない。
“くっ……うぁっ……ラ……トゥ……ニィ……あぁっ”
”あっ……はぁ……クゥ……ス……ハァ……ううっ”
掛け合う声もおぼろげに、それでも必死でつなぎ止め合う様に声を出しながら二人は互いを引き留め、自身を留めさせようとする。
そして……幾度目かの揺らぎの果て・二人の心身が限界までその力に押し上げられその意識が消し飛ぶかそれとも打ち上げられるかにまで達した時―!
“ぐぅっ!”
“うぅっ!”
二人の口―バッタ女のアゴが互いの肩に勢いよく噛みついた。
それと同時に何かが二人の中を突き抜けていく……!
[newpage]
“―!?……っ!!”
“……!―っ!!”
噛みつかれた痛みや噛みついた衝撃以上のものに貫かれ二人はほぼ同時に目を見開く。
互いに噛みついたアゴから何かが体中に注ぎ込まれていく。
そして同時に噛みつかれた肩口から何かが吸い出されていく。
“ん……く……んん……っ!”
“む……ん……むむ……っ!”
なんとか口を離したいが深く噛みついたアゴは容易には外れない。
強靱なアゴの力、そして吸い込まれていく何かの勢いがさらに噛みつく圧力を増しているのだ。
互いを固く抱きしめた両腕も緩む事なくその拘束を強めている。
そうする内に二人のアゴはさらに何かを吸い出し、肩口からは何かが吸い出されていく。
吸い込んでいく事で満ちていく感覚・吸い出される事で薄れていく感覚。
その両方を二人は同時に感じていた。
このままではいけない、早く離れないと、放さないといけない。
そんな事を考えていた理性も感じていた感性もみるみる失われていく。
それと同時に二人の姿も緑からどんどん色を失い灰色に染まっていく。
“ク……ス……ハ……”
“ラ……ト……ニ……”
それが最後の言葉だった。
互いが吸い出し、吸い出されていたものが互いの爆発的に充ち満ちていた「生命」だった事を知ったと同時に二人は―水葉楠葉とラトゥーニ・スボゥータは塵となって消えた。
そこに残っていたのはかつてその二人が変化した姿であるバッタ女の形をした灰色の塊だった。
文字通りの静寂に支配する中で生気を、生命を失い文字通りの抜け殻となったその塊は一切の命の気配のない暗闇の中で静かにたたずんでいた。
そんな中、塊の中で少しずつだが奇妙な音が響く。
何かがピチピチ・ミチミチと満ちていく様な音。
ひび割れる様な・膨らんでいく様な奇妙な音。
命を失ったはずのその塊の中で何かがうごめいている。
その音の響く根元・それは塊が繋がっていた場所に埋め込まれていた赤と緑の宝玉から響いていた。
鮮やかな色合いを失い鈍く光る宝玉。そこから何かが満ちていた。
それにより塊の中で何かが満ち、うごめいている。
あたかも失われた命を蘇らせようとするかの様に。
ミチミチ・ピチピチと音を立て塊の中で何かが満ちながら形作られていく。
それが塊の中一杯に満ちようとする中でその頭頂部・向き合っていた場所からそれぞれ一対の赤と緑の鈍い光りが浮かぶ。
同時に塊のあちこちが軽く震えだし、その表面にヒビが入っていく。
ピキピキ・パチパチと音を立てながらヒビが塊中を覆っていく。
そして―パキンと音を立てて塊は砕け散った。
いや―その表面がはじけ飛んだ。
その中から現れたもの、それは黒と銀の外骨格を持ったバッタ怪人の様な姿はしていた。
しかし、かつてその塊に宿っていた生命が姿を変えたものとは大きく異なっている。
その姿はかつてとは一回りほど巨大な体躯をよりとげとげしくかたどっていた。
禍々しい長さを増した両腕の先でより鋭く・禍々しく伸びる両手の指先。
肩や肘・脚からも角の様な、トゲの様なものが伸びている。
その顔立ちもより長く伸びた触覚や鈍く光をたたえながらも殺気に満ちた複眼・より狂暴な形となったアゴなど完全に食らう事に特化した様なものに変貌していた。
フゥー・ウゥー・ウフゥー……。
グゥ―・フゥー・グフゥー……。
二体のバッタ怪人―いや、バッタ型の怪物はその禍々しく光る赤と緑の複眼で互いを見つめつつその顎を歪ませる様に「笑った」。
二体は静かに立ち上がるとおもむろにその背中から巨大な羽を広げるとそれを激しく振り動かす。
その振動で部屋の中の全てがかき回され砕かれていく。
そして二体は静かに宙に浮かぶとその勢いで窓ガラスをぶち割り外に飛び出した。
暗闇の中、二体のバッタ怪物が空に浮かぶ。
二体の複眼は静かに獲物を探していた。
それだけ二体は―「飢えていた」。
[newpage]
暗雲に覆われた夜の闇・そしてさらに暗い暗闇の中で「宴」が行われていた。
その欲求のままに食らい・飲み・そして暴れる。
文字通りの狂宴である。
しかし、その宴を楽しんでいるのは一体のバッタ型怪物。
その銀色の姿の足下には数体の怪人達が折り重なっている。
命こそ奪われてはいないがもはや身動きする事さえならないほど叩きのめされたその体は震える事さえままならない。
そして、銀色のバッタ怪物はそのうち一体をおもむろに引き掴むと思い切りその体に噛みつく。
怪人は何の抵抗も反応もないまま塵となって消えた。
バッタ怪物はさらにもう一体怪人を掴み上げ塵と化す。
その様を震え、おびえながら見ていた不幸な目撃者がおののきながらもその場から立ち去る。
突如現れ襲い掛かろうとした怪人達の群れの前に現れたたった一体のその怪物が怪人達を一方的に蹂躙した上それを「食らって」いる。
楽しそうに、嬉しそうにその精気を食らう光景は生物同士の生存戦争・捕食本能に基づく闘争行為の範疇を完全に逸脱していた。
その光景を目の当たりにしてもなんとか逃げだそうと動く事ができたのは幸いかも知れない。
ただ―その目撃者が直後に、そして最後に見たものは夜の闇から跳びかかる黒い影・そして赤い複眼だったのだが。
緑色の目を鈍く輝かせて「甘露」の余韻に浸っていた銀色のバッタ怪物が気配を感じ向いた先、先ほどの不幸な目撃者が逃げ去ろうとした場所には赤く鈍い光をたたえた黒いバッタ怪人が満足そうなアゴの動きをして禍々しく立っている。
その黒いバッタ怪物に銀色のバッタ怪物が捕まえた「獲物」を一体放り投げる。
黒いバッタ怪物は両脚を踏み込んでジャンプするとそれを受け止め、そのまま食らいつき塵に変える。
その背後から突然別の怪人が跳びかかる。
怪人達の生き残りか、それとも別の勢力か。
しかし、黒いバッタ怪物はものともせず空中で怪人に蹴りを打ち込むとその一撃でもがき苦しむ怪人をつかみよせそのまま噛みついて塵に変えた。
こんな光景がすでに幾度となく繰り返されている。
既にこの場所の周辺はほぼ無人状態と化し一部の怪人達が不幸にも迷い込んではバッタ怪物達の餌食となっている。
実質そこはバッタ怪物達の縄張りと言っても良いだろう。
獲物を食らう快感・そして食らう度全身に満ちる至福の美味と活力に浸りながらバッタ怪物達は歓喜の雄叫びを上げる。
不幸にもこのバッタ怪物達は互いを「捕食対象」としては見なしてはいない。
同族同士の連帯本能か、それとも互いがよりふさわしい存在となった上で「最後の食らい合い」を行おうとするのか。
どちらにしろ二体がその縄張りを広げようとするのは時間の問題である。
二体の行く先にはさらに多くの「獲物」が存在するのだろうから。
そんな時、二体の耳―にあたる部分が異音を捉える。
二体にとって不気味で不快な怪音。
それはさながらバイクのエンジン音・排気音の様でもあった。
グルゥ……。
ウルゥ……。
二体がその異音に向けて顔を向けたその先。
その暗闇の向こうには一対の赤と緑の光が輝いていた。
その存在は何かにまたがっているらしく異音はそれから響いているらしい。
この異音を黙らせてやりたい。
そしてこの異音の主をぶちのめして「食いたい」。
あの向こうにいる奴らはきっとすごく「うまそう」に違いない。
そう本能で感じその目的で一致した二体は背中の羽を広げ禍々しい姿で構えつつ宙に浮かぶ。
それに応じるかの様に闇の奥にいる存在はその排気音をさらに高める。臨戦態勢と言う所だろう。
そして、バッタ怪人達が羽を震わせて闇へと跳びかかろうと進む様にその存在達も夜の薄明かりの中に飛び出すかの様に突っ込んでくる。
猛然と突き進む両者。
そして、光と闇が交錯した時―二体のバッタ怪人と乗っていたバイクから飛び出した二つの影が星一つ無い夜空に舞った。
直後、暗雲が晴れた夜空に二つの流星が流れるのを人々は見たと言う……。
第三部後編・断絶