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いまからちょっとだけまえ、とあるばしょにとあるもりがありました。
そのもりはむかしむかし、そのもりのちかくにおおきなまちのできるずぅーっとまえからあったもりです。
あるひ、そのもりはまちをもっとおおきくするためにきりくずされようとしていました。
そんなとき、もりにすむせいれいさんがもりをだいじにおもっていたあるおんなのこにじぶんたちのちからをかしあたえたのです。
おんなのこはそのちからでもりをまもろうとひっしでがんばりました。
そんながんばりがみのったのか、ついにもりをきりくずそうとしたひとはもりをきることをやめてもりをのこすことをやくそくしました。
こうしてもりはいまもおだやかにそこにあります。
そしておんなのこは……。
[newpage]
大都市センチュリーシティを臨む森。
大企業ライン社による開発が見送られ、今は静けさが戻っていた。
そんな森のそばにある一軒の家でアイミはチェロを奏でていた。
落ち着いた重厚感の中にも穏やかな音色は静かな夜の森に染みわたっていく。
ゆったりとした衣装と自然体にかき上げ結い上げた紫がかった髪、そして程よいサイズの眼鏡がその幼さの残る清楚な顔立ちを印象付けていた。
アイミはその瞳を閉じ、たおやかな手付きでチェロを手にし、弦を操り続けている。
一晩中続いてもおかしくなかったその音色が突然止まった。
「ふうっ……」
そっとその優しげな瞳を開けたアイミはやや疲れた感じで一息つくと静かに立ち上がり、チェロをしまい出す。
何か物足りない、しっくりこない。
そんな表情が顔に浮かぶ。
こんな時は新しく買っていた読みかけの詩集さえ心を和ませない。
しかし、シャワーを浴びてこのままやるせない気持ちを抱いたまま床に入る気持ちにもなれない。
「そうね……今夜も行ってみようかな」
ふと窓の窓の向こうに浮かぶセンチュリーシティーの灯りを見た時不意にそんな言葉が漏れる。
そう言うとアイミは「支度」を始める。
と言っても着替えや鞄を揃える必要はない。
まして今の時間と彼女の足ではやや距離のある道のりを心配する事も無い。
その全てをクリアする手段は―彼女の部屋の一角。
彼女が大事にしまっているその場所の中にあるのだから。
明かりの消された部屋の中。
アイミは静かにそれを取り出す。
それは小さな小箱。
一見なんの変哲もない小さな小箱。
それを大事そうに手にしたアイミは一旦それを置くと結い上げていた髪をほどき、羽織っていた肩掛けを外して椅子にかける。
そしてかけていた眼鏡を外し、小箱と入れ替えるようにそこに置いた。
そっと小箱を開けるとそこには小さな鏡と文字通り色とりどりの「色」があった。
彼女の裸の瞳は静かに動き、「色」を探す。
これから行くべき場所に出かけるための「色」。
今の自分からそこに行くための自分へと飛び越えるための「色」。
そして、彼女の目がある「色」を選んだ。
「今日はこれにしよう」
そう言って選んだのは赤。
暗がりの中でも妖しくも鮮やかに映える赤。
小箱についている鏡越しにそっと笑みを浮かべるとアイミは小箱の中にある小さなブラシを取り、赤をぬぐう。
それを手にした彼女の顔は今夜の彼女が見せる顔では一番輝いて見えた。
「……」
静かにまぶたを閉じると、そっとブラシをその目元に沿わせゆっくりと、そして確かにその赤をまぶたに塗っていく。
うっすらとした色合いをした彼女の素顔、その目元にほんのりと赤いラインが浮かぶ。
「ふぅ……」
まるで一仕事終えたかのように一息つく。
そんなアイミの目元、鮮やかに描かれた赤いラインがほんのりと光をともしたかの様に見える。
「あ……」
目元から暖かい―と言うより熱いほどの感覚が頭に、そして全身に満ちていく。
心地よさ、解放感、そして官能にも近い熱い気の流れがアイミの身体に満ちていく。
「あ……あぁ……」
瞳を閉じ、口を軽く開きながらアイミはその流れを強く感じながら身を任せる。
赤い気の流れは彼女の身体の中を幾度も流れ、全身に満ちていく。
そして、その赤く縁どられた目元に浮かんでいた光が強く光り……
[newpage]
解きほぐされるような流れと共にゆったりとアイミの全身を覆いつくした。
「あぁぁぁぁ……」
身体の内側から熱いものがにじみ出るような感覚にアイミは思わずゆるやかに声をあげる。
全身を覆う赤い光の中、目元に塗ったアイシャドウのみを身に着けたアイミのシルエットがぼんやりと浮かんでいた。
「あ……はぁ……」
優しく甘い声を上げるアイミのアイシャドウは全身を覆う赤い光の中でもより強く光を保つ。
そしてアイシャドウの光は赤い光に変化を促す。
不意にアイミの目元を赤いメガネのようなものが覆う。
いや、正確には赤いアイマスクだろうか。
アイシャドウに縁取られた目元を大きく見せたそのアイマスクは彼女を覆う光の中ではっきりと浮かび上がる。
不意にそのアイマスクが面積を増す。
上下左右に広がったアイマスク―いや覆面はアイミの額を、両耳を、そしてその長い髪を飲み込み、その目元と鼻筋の見える口元を除いて顔全体が赤い覆面にぴっちりと覆われた。
「あ……あぁ……」
さらに覆面は首を覆いながら進み、喉やうなじを飲み込んでいく。
背中から腰、鎖骨から胸元と降りてゆくそれは鮮やかな赤いホルターネックのレオタードを形成していった。
赤い光の中、はっきりと浮かぶ顔全体をぴっちりと覆った覆面と一体となったレオタード姿となったアイミ。
その姿はどことなく妖しげな艶をにじませつつある。
「あ……あ……」
覆面から空いた口元から漏れるアイミの声にも少しずつ艶のあるものが感じられつつあった。
身体中に満ち、ゆるやかに放たれる赤い光の流れに身を任せる様にアイミは両腕を広げる。
それと同時に両肩のあたりから黒い布地がその細い腕をぴっちりと包み込んでいく。
さらに両足もつま先から膝上まで白いオーバー二―ソックスがその両足を引き締める様に伸びていく。
アイミのその清楚な姿がその身にまとったコスチュームによって妖しさを交えたものに変わっていく。
「ああ……ああ……」
その声も妖しげな艶のある女性の声へと近づいていく。
しかし、変化はこれで終わりではなかった。
アイミを覆い、アイミのコスチュームからにじみ出す赤い光が突然渦を巻く。
「あ……あぁ……あぁ……」
緩やかに、しかし確かに。
変化のエネルギーはアイミを昂らせている。
それに応える様に彼女を覆うコスチュームに一気に変化が起きる。
赤いレオタードの中央、腹部の辺りに白い楕円上のワンポイントが浮かぶ。
黒い袖が伸びる両肩が一気に膨らんだと思えばその両腕も肘から一気に白く染まり、まるで巨大な猫の手の様な形に変化する。
それに比べれば両足を彩る白いシューズ、そしてお尻の辺りから延びる黒い尻尾などは可愛らしい物だろうか。
その変化の最大のポイントはその顔ー顔全体を真っ赤に覆うマスク。
その要所に黒いラインが入ると、一気にその頭頂が二手に分かれて一気に細長く上に伸びる。
赤い光が消えた中から現れたその姿はまさに猫。
全身でこそないが赤い猫の姿がそこにあった。
「はぁぁぁ……」
その瞬間、アイミの声が一瞬高まった。
そして黒いラインに彩られた目元と口元の中で、赤いアイシャドウに縁どられた瞳と赤いルージュが引かれた唇がゆっくりと開く。
「あぁ……いい感じだわ」
妖しげな艶のある声でアイミはその姿を見回して呟く。
いや、今の彼女はアイミではない。
アイミを依り代にし、その目元に輝く赤いアイシャドウを介して現れた存在―シャドウレディ。
センチュリーシティを騒がせた妖しく美しき怪盗―だった存在が今ここに現れた。
赤を基調とし、白い手足と黒い肩、黒い尾をなびかせた装束をしなるように動かしながら赤い猫の顔の中で彼女は笑みを浮かべる。
その口元、その瞳に素顔の時には見せる事のなかった妖しくもクールな物を感じさせる笑みと共に影の中に姿を消す。
主のいない部屋を残して―。
街灯りと夜の闇が程よく交錯するセンチュリーシティの夜。
文字通り闇と光・明と暗が入り混じるその隙間を縫うようにシャドウレディは今宵も現れた。
その赤き猫を思わせる姿は夜の中でもより映える。
暗闇の下地に浮かび上がる数々の灯りを見つめながら彼女はその覆面からのぞく赤いアイシャドウに縁どられた目を輝かせ、赤いルージュが彩る唇に軽く舌なめずりをする。
今宵はどう駆け巡ろうか。
気晴らしにちょっとしたいたずらをしてみようか。
気まぐれにちょっとした人助けでもしてみようか。
今のこの街以上に光と闇・暗と明の狭間の存在である今の彼女に難しい思考は似合わない。
ただその隙間に飛び込むだけ。
その先で出会ったもの、見つけたものに合わせて心のままに動けばいいのだ。
「あぁ……今夜もエクスタシーだわ」
そんな言葉を残し今宵も心のまま、思いのままに淑女は影の中へと飛び込んでいく―。
[newpage]
それからどれだけの時間が経っただろうか。
センチュリータウンを臨む森のそばの一軒家。
主のいない部屋に何かが飛び込んでくる。
宙を舞い羽ばたく黒い影。
それは大きな蝙蝠のようにも見えた。
蝙蝠のようでいて蝙蝠ではないその姿。
グレーの全身タイツの様な衣装を彩る黒いレオタード。
その胸元に白く縁どられた丸いリング状のワンポイントがいやでも目を引く。
他にも肘まで伸びる黒いグローブにシューズと一体となっている様に見える黒いオーバーニーソックス。
その体形は人間の女性を思わせるものの、明確にそう呼ぶにもまた違和感は大きい。
背中には大きな黒い蝙蝠の翼がはためき、首から後頭部のラインもまた蝙蝠を思わせるフードキャップ状のものにぴっちりと隠されている。
そしてそこからのぞく素顔―と言えるのだろうか―も漆黒の闇に彩られ、その妖しくもクールな目元には黒いアイシャドウが輝いていた。
人の形をした蝙蝠となってシャドウレディは舞い戻ったのだ。
「はぁ……最高だったわぁ」
アイシャドウ同様黒く輝くルージュに彩られた唇から甘い吐息と共に妖しくつぶやくシャドウレディ。
覆面をかぶっているわけではないのだろうが、そのアイシャドウとルージュを除けば漆黒に彩られたその顔から素顔どころか表情を読む事はいかなる洞察力や観察眼の持ち主でも容易では無かろう。
ただその口元が、その瞳が妖しくも満ち足りた笑みを浮かべている事だけは間違いない。
今夜彼女がかの街で何をしたのかはわからない。
それがかの街でどう語られるのかも今はさだかではない。
ただ、その黒い顔から微かに見える笑みだけが今宵の彼女の全てを示している。
そんな満ち足りた気分の中でシャドウレディはしなやかに部屋の中を歩み、姿見の前に立つ。
「そして……ここまで、ね」
そんな言葉と共に鏡に向かい軽くウィンクするとそっと親指で目元で黒く輝くアイシャドウをぬぐう。
アイシャドウがぬぐわれた黒い素顔に一対の白い―その顔からすれば―ラインが浮かぶ。
「ああ……はぁ……」
黒い唇から甘い声が漏れる。
全身に満ち満ちていた黒い光、それがもたらしていた緩やかでかつ官能的な空気が乱される感覚。
しかし決して不快なものではなくまた異なる感覚。
それまでとはまた異なる心地よさが、アイシャドウをぬぐった目元から身体中ににじんでいく。
「はぁ……はあ……あぁ……」
緩やかに、あくまでも緩やかに声を上げる。
今彼女を覆い、彼女に満ちる光とはまた異なる何かがその身を包み、その身から湧きあがろうとしていた。
「あぁ……あぁ……あぁ……」
震えながら声を震わせる彼女のコスチュームいっぱいに黒い光が満ちていく。
その輝きが一段と強くなった瞬間、黒い光が激しく吹き出すとシャドウレディの姿は一瞬でその中に消えた。
「あぁぁぁぁ……」
黒い光の中でうっすらと浮かぶシルエット、そしてその中でおぼろげに浮かぶ黒い顔。
目元から素肌と思しき色が覗き、その黒い顔に輝きのような印象を加えていた。
「あぁ……あぁ……」
その口元から妖しく甘い声を上げる度にその目元は輝きを増すように見える。
る。
「あぁ……あ……」
その輝きが光る度、声が上がるたびに黒い光の中にうっすらと浮かぶその姿から妖しさが消えていく様に感じられる。
「あ……あ……」
黒く光るルージュに覆われた口から洩れる声にも少しずつ穏やかで愛らしいものが感じられつつあった。
黒い光が身体中に満ち、さらに全身を覆う中、シャドウレディは両腕を広げる。
「ああ……ああ……」
そして、変化は最後の段階を迎える。
と言うより次の瞬間、その全身を覆っていた光が文字通りはじける様にかき消えた。
そしてそこには人型の蝙蝠の姿をしたかつての怪盗ではなく、ゆったりとした衣装を身に着け、自然体に紫がかった髪を流した清楚な女性―アイミの姿があった。
「はぁぁぁぁぁぁ……」
ほんのり赤くなっている以外は全くの素顔で、そして何も塗られていない唇からホッとしたような、それでいて満ち足りたような吐息が漏れる。
一通り吐息をはき、一気に吸いながら顔を上げるアイミ。
その顔には程よい疲れとそれ以上の爽快感、満足感が感じられる。
「ふぅ、やっと一息ついた、かな」
そう言ってその穏やかな瞳で姿見に映る自分の姿を見つめ、ほんのりと笑みを浮かべるとアイミは紫がかった髪をなびかせながら軽い足取りで部屋をあとにする。
心地よい余韻に浸りながらも適度にたまった疲れと汗を流すために……。
翌朝、静かな森の木々を照らす温かい朝日を浴びながらナイトウェア姿のアイミが目を覚ました。
その素顔に明るい笑みを浮かべながら―。
了
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