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新妻の布帛(ふはく) ー創世歴307年 新越国 清明ー

  冷えるな…。

  私は強ばった手を火に当てた。吐く息が白く拡がり、消える。火に当てた手がしくしくと痛む。

  かじかんだ手は、息を吹きかけると一瞬温かくなるが、それはすぐに消えてしまう。火では熱く、息ではぬるい。ちょうどいい温かさは無いものか。

  思案しながら、手を開いたり閉じたりしてみる。指先がじんわりと熱を持った。

  そう言えば、あの[[rb:女 > ひと]]は手を握ってくれたな...。

  十数日経ったか。妻問いの日、一度会っただけの女を思い浮かべた。女は私より二回りも大きな身体で、そして身体と同じく大きな手で、冷えた私を包んでくれた。

  「アザミ...」

  想うだけで身体が温まる気がした。

  あと、十日...。もう少し早いかな。

  新月が来れば、あの女は私の元へ嫁してくる。真っ直ぐとこちらを見る琥珀の瞳。私の妻...

  「若」

  男の声が、女の姿をかき消した。

  「な...なに」

  「失礼いたします」

  私が答える間もなく、声の主は室に滑り込み、目の前で深々と頭を下げた。なぜこの男は、私がいいと言う前に入ってくるのだろう。

  従者であるトクサの[[rb:頭 > こうべ]]を見つめた。

  「何用か」

  「は。ニコシヒメから若へ荷が届きました故、お持ち致しました」

  「に...?」

  見計らった訳でもないのに、何という頃合いだろうか...。激しい鼓動に苛まれ、それを言うのが精一杯だった。

  「えぇ。ニコシでは連れ添う男に[[rb:布帛 > フハク]]を織って贈るそうです」

  一度消えた女の姿が、今度はトクサと重なった。

  「そ、それはニコシヒメが...私に?」

  「他にどなたが、おいででしょうか」

  熱を帯びる私の声に反して、トクサの声はいつにも増して冷ややかだ。

  「もっとも...。私は若にはもっと相応しい女が良いと、今でも思っておりますが」

  「相応しい、とは?」

  「品と才覚のある、チハラの女か。せめて同等のハヤセの女が良いでしょう」

  品と才覚...?

  初めて会った時、彼女は[[rb:猟男 > さつお]]のような格好をしていた。[[rb:雷 > イカヅチ]]のような声に、傍若無人たる振る舞い。文字を持たないニコシ族は読み書きなどは出来ぬであろう。

  だが、あの[[rb:女 > ひと]]には民を想う心があり、何よりそれを憚らない。

  「我々とは習俗が違うのだ。追々...慣れるであろう。それに私はあの[[rb:女 > ひと]]に大器を見た。お前の言う才覚とは別の物であろうが、私に他の女は考えられない」

  私はトクサを見る。トクサは暫し私を見つめた後、荷を差し出した。

  「中は...[[rb:検 > あらた]]めたのか?」

  「いいえ。一番にご覧になりたいでしょうから」

  すました顔でトクサは言った。なんだか少し腹立たしい。

  「っ...余計な事は言わなくていい...から」

  いっそトクサなど下げて、一人で中を確かめたい所だが、この男は万が一に備えて下がりなどしないだろう。

  誰よりも勤勉な男を上目で眺めつつ、私はそろりと荷を解いた。

  「あ...」

  目に飛び込んだのは春を思わせる淡い萌黄色の布帛。枯れたように見えていた木々が盛んに萌立つ春が、私は好きだ。

  あの[[rb:女 > ひと]]がこの色を選んだのだろうか。

  いや、 たまたまかもしれない。そうであっても、私は嬉しく感じた。

  「お気に、召しましたか」

  「ん...あぁ」

  よもや緩んだ顔などしていないだろうな…。

  こちらを窺うような目を避けるように、私は少し横を向いた。そして、そっと布帛を取り上げる。

  「ん、随分と軽いな」

  思わぬ軽さに驚く。拡げるとトクサの顔が透けて見えた。

  「透ける布など初めて見た。ニコシにはこちらに無い業があるようだよ」

  下に添えた手を動かすと、布の上からしっかりとその動きが見える。

  「拝見しても...?」

  珍しく興味を示したトクサに、私は布帛を渡す。トクサは手に取った布帛を端から端まで送り、顔をこちらに向けた。

  「珍しくはないか?」

  私が知らぬだけであろうか。

  トクサに尋ねた。

  「お喜びのところ申し上げにくいのですが…」

  少しも申し上げにくそうには見えない顔で、トクサは言葉を切る。

  「なに...?」

  「飽きただけではありませんか?」

  「あき......え?」

  トクサは端を指さす。

  「始めは密に織ってあります。徐々に隙間が空き、所々詰まり...」

  三分の一程送ると、トクサの手は布帛を折り畳んだ。

  「ここから終わりまで隙間が空いた状態になっています。この辺りで妥協したのではないでしょうか」

  トクサの指がトントンと布帛を指している。

  「連れ添う男に贈るのだろ? そんな訳があるか」

  半ば奪うように、トクサの手から布帛を取り返す。

  「お言葉ですが、私にはあのヒメが大人しく布を織るような女には見えません」

  「私の!!」

  弾みで声を上げ、私は思わず口を塞いだ。咳払いをし、一度声を低くする。

  「ニコシヒメは私の妻だ。侮辱は許さない...」

  私の言葉にトクサは目を伏せる。

  「あくまで私の印象にございます」

  その顔は、訂正するつもりなど無いと言っているようだ。

  「もういい。下がってくれ」

  「...は」

  来た時と同じように頭を深々と下げると、トクサは室を後にした。

  なぜトクサは、ああもあの[[rb:女 > ひと]]を卑しめるのか......いや。

  私は自らの問いを否定する。

  それこそ、習俗、なのだろう。

  ハヤセビトの父とチハラビトの母。そしてその生の半分以上を宗主国チハラで、チハラビトとして生きてきたトクサ。

  チハラノクニは礼と秩序と位を重んじる。帰化民のハヤセビトも属国となったばかりのニコシビトも、トクサにとっては絶対的に下位の存在なのだ。

  だがそうであるなら、なぜ才覚など求めるのか。生まれた地位が絶対であるなら、才覚をどれほど磨こうと高みを望めない。虚しいだけではないか。

  なぜ己の天上に柵を作るのか......。

  ニコシヒメ。貴女ならどう思うだろうか?

  手元に残った布帛を折り畳み、私は小箱の中にしまった。

  彼女が嫁してきて、ふた月ほど。ニコシの木々が芽吹きはじめ、山々は淡く萌黄色に包まれた。

  そう言えば...

  私は小箱から妻の織った布帛を取り出した。山の色味をそのまま移したような布帛は、やはり私の心を和ませた。

  「良い色だ」

  しかしこの薄い布帛はどのように使っているのだろう。着るには透けて不便だし、ザルのように何かを濾すのか...。それとも何かの飾りなのだろうか。

  さっぱり用途が思いつかなかった私は、ふらりと妻の居住へ向かった。

  郷の内に設けられた柵の中では女と子どもが暮らしている。その柵の奥に彼女のいる宮があった。高床造りの宮へ続く梯子を登り、私はそっと中を覗き込む。

  中には女が数人輪になって、何か作業を行っている。彼女はその奥にどんと腰を据えて、同じように忙しく手を動かしていた。

  「[[rb:ニコシ > アザミ]]...ヒメ」

  小さく声をかけると、彼女はこちらを向いて歯を見せた。

  「おぅ、どうした。[[rb:ヒメ > ・・]]はいらんぞ?」

  「あ...うん」

  私は女達の脇を抜け、アザミの横へ腰を下ろした。ハヤセの者ならここではけていくだろうが、アザミも、アザミの連れて来たヒマという者らも、身分の差のない民だ。私には目もくれず、黙々と作業を続けている。

  「ヌシもやるか?」

  冗談交じりに、手を差し出す。手の中にはタケノコが白い顔を出していた。

  「手、汚れるがの」

  ワキワキと動かして見せた手は、皮のアクで黒く汚れている。

  「いえ、私は...」

  「じゃろうな」

  責めるでもなく、アザミは皮を剥き始めた。

  「採れたてじゃけ、アクも強くねぇ。夜には食えるぞ?」

  春になって初めてのタケノコだ。きっと良い香りもするのだろう。

  「楽しみにしてるよ」

  私は答えた。

  皮はパキパキと小気味よい音を立てながら剥がされていく。私は暫しタケノコを剥く手を眺めた。

  「用、あったんじゃねえのか?」

  アザミは手を止めてこちらを見た。

  「えぇ、まぁ」

  そうではある。そうではあるが、作業をしている相手では、いつ口にして良いものかよく分からない。

  「手は動いとるが、耳も聞こえるし、口も利けるぞ?」

  アザミは口の端に笑みを浮かべながら、また皮を剥く。

  「ん...」

  しばらく黙っていると、アザミは手を止めた。

  「落ち着かんか?」

  覗き込むように私を見る。

  「えぇ、まぁ...」

  短く答えると、アザミは一息ついて「ツリフネ」と、別の女にタケノコを放った。

  「それ、頼む」

  「食べもん投げるな、神さん祟るで」

  ツリフネはアザミの友らしい。訳知り顔で互いに目配せすると、アザミはこちらへ向き直った。

  「どうした?」

  「これ...」

  私は小箱から布帛を取り出して見せた。アザミはどこか困ったように眉根を寄せる。

  「ワシの織った布じゃの」

  「そう。私はこのように透ける布を初めて見た。貴女にはこちらに無い業があるのだと、感心してね。それでこの薄い布帛はどのように...」

  途端に女の方から笑いがおこった。

  「確かに。真似できひん、真似出来ひんわ」

  「ウチも大概やけど、アザミさまほどは出来ひんなぁ」

  「?」

  笑い声と共に端々にあがる言葉は、私が抱いた感覚とはどこか違う。

  「あー、うっせぇのぉ。ったく」

  「アザミ...?」

  「その...なんだ」

  アザミの手が、やんわりと私の頬に触れる。初めて会った時のように、やはりその手は温かかった。

  「ワシは手仕事が苦手じゃ。いざ織り始めたものの、終わる気がせんでよ。そんでもヌシの元へ嫁す前に形にせんと、と思うて詰めずに織った。業なんぞは無ぇんじゃ」

  「そ...ぅなのか」

  飽きたのではありませんか…。

  頭の中でトクサが言う。胸の内が掴まれたように縮んだ。

  「あ、あの!!」

  少女の声が響く。見れば年少のナズナがこちらを窺うように見ている。

  「アザミさまはほんに一時も座ってられん方や。せやけど、それ織っとる時は一生懸命やっとりましたで...」

  「せやんなぁ。ちゃんと形にしやってんな」

  ツリフネも隣で頷く。

  「せやから...いい加減とかとはちゃうんです」

  己が事のように、ナズナは訴える。そろりとアザミを窺うと、彼女はバツが悪そうに首を傾げた。

  「...色、は? なぜこの色」

  「色は...似合いそうな気ぃがした。それだけじゃ」

  胸が鳴った。大きく一回。身体が震えるようだった。

  十分だ...。それだけで、十分。

  「アザミ...」

  言いかけた瞬間、外から喧騒が聞こえた。慌てふためくような女の声。男の怒気を孕んだ、鋭い声。

  「なんだ...?」

  外に目を向ける。回廊に、顔が覗いた。

  「若...。昼時から女を訪ねるのはおやめ下さいと、以前も申し上げましたが」

  トクサだった。

  「別に遊んでいた訳じゃない。私は...その」

  言葉に詰まった。トクサの目が私の手元に向けれている。折しも、トクサの言が的を射ていた事が判明したばかりだ。

  「ああ。何時ぞやの。それで、新しい業は得られましたか」

  黙っていると、トクサは室の外で座り直し、正対する。そして厳かに、口を開いた。

  「業など、無かったのでしょう」

  わかりきった事であるかのように、そう言った。

  「っ...」

  無くても...構わない。

  見上げた私に、実利を求めるトクサの視線が冷たく刺さる。

  「おい...」

  凍った空気を溶かすように、アザミはそっと耳打ちをした。

  「ワシの腕が無ぇのは承知の上じゃ。勝手に言わしとけ。ヌシが気にすることでもねぇぞ」

  「だが...」

  アザミは不意に身体を大きく反らせる。

  「謂れもねぇ言いがかりなら腹も立つが、己でも知っとるような事言われても腹は立たんもんじゃ」

  若草をさらう春風のように、アザミは軽く笑い飛ばした。

  なんとも軽やかだ。思い倦ねる事も馬鹿馬鹿しくなる。陽気に当てられ、私の身も軽くなるようであった。

  私はもう一度手の上に布帛を拡げる。透けた先は朧気で儚く、布帛の上は光を受けて滑らかだ。

  「布帛の真贋は別として、それでも私はコレが美しいと感じるのだよ、トクサ」

  「思う事は構いませんが...それが?」

  怪訝な顔をするトクサを前に、私は思わず笑いをこぼした。この朧気な布帛が、私の中でしかと形を成したのだ。

  「だからさ、これを宝に変えてみようと思ってね」

  「...宝?」

  要領を得ないトクサに、私は布帛を握らせた。

  「オリベノヒメに同じものを織って欲しいと伝えてくれ」

  「あれにボロ布を織れと?」

  やや憤慨したような目を私へ向ける。

  「ボロ布ではない。私は宝だと言ったろ? このように透ける、軽い布帛を夏の上衣にしたいと伝えよ。出来なければ構わぬが…オリベノヒメには才があるだろう?」

  煽るように、私はトクサへ言い含める。

  「承知致しました」

  トクサは短く言い、室を下がった。

  「おい、オリベノヒメっちゃ誰ぞ」

  視界からトクサが消えると、アザミは身を寄せて尋ねてきた。

  「チハラの機織り[[rb:女 > むすめ]]で、トクサの妻だ。大陸から伝わった機織り器で、上質な布帛を織るらしいよ」

  「意趣返しとは大人気ねぇの」

  アザミは口を曲げた。

  妻を馬鹿にされた仕返しと思ったらしい。

  「そんなのではないよ。[[rb:トクサ > アレ]]の選んだ女が、凡庸であるはずが無いからね」

  私はアザミの目を見据える。

  「意趣返しではない。信じて、託したのだよ」

  布帛が織りあがったと話があがったのは、萌黄色の山々が、青く新緑に包まれた頃だった。私はオリベノヒメをアザミの室へ通すように言い、トクサと共に向かった。

  アザミの室にはアザミともう一人、長い黒髪を結い上げた女が平伏して待っていた。

  「おいっ、ウマラ」

  アザミは私を見るなり声を上げ、腕を引っ張りあげる。

  「いきなり何です?」

  こういう所が...あまり好きではない。私はアザミの手から己の腕を引き抜き、尋ねた。

  「あの女、早く何とかしてやれ。ワシがどんなに言うても頭上げんのじゃ。血上って死ぬるぞ」

  「あぁ...」

  死にはしないだろうが...。

  私にとって、ありふれた光景が、アザミには特異に見えるのだろう。

  私は女の脇をぬけ上座に座り、続いてトクサが座った。

  「オリベの...足労であった。楽にしてよい」

  私は声を掛ける。オリベノヒメはそのまま微動だにしない。トクサが声を掛け、初めて体を起こした。俯いたままの顔はよく見えないが、チハラビトと言うだけあって、トクサと似た色白で淡白な顔立ちのような気がした。

  「早速見せてもらおう」

  私が声を掛けると、オリベノヒメは目を伏せたまま頷き、盆に乗せた布帛をトクサへ渡す。トクサがさらに盆を私へ差し出した。

  盆には二枚の布帛が置かれている。右は見覚えのあるアザミの布帛。そして左がオリベの布帛であろう。

  私は左の布帛を手に取って拡げた。

  「あぁ、これは素晴らしいね」

  透け感のある見た目と、生地の丈夫さを兼ね備えている。アザミの布帛は緩く織っただけで、針を通せば、破れかねない脆さがあった。オリベの布帛はその点、織り目が密で使用に耐えうるものだ。

  「材料は同じか」

  オリベに尋ねる。オリベノヒメは僅かに目をあげ、トクサを見た。トクサは小さく頷き「直答を許す」と言った。

  「同じにございます」

  [[rb:鉄 > かね]]を叩いたような凛とした声が響く。心地の良い声だ。

  「アザミの布帛とは何が違う」

  「糸をできる限り細く紡ぎました」

  淡々とオリベが答える。横でアザミが「うっ」と声を上げた。

  「糸から紡いだのか。たいそうな仕事じゃの」

  オリベは微かに首を振り、更にもう一つ盆を差し出した。載っているのは萌黄色の上衣。

  「夏、お召になりたいとの事でしたので」

  拡げると、私の身丈に合わせた衣であった。

  「羽織っみても良いか」

  私は真新しい衣に袖を通す。

  軽い。着ている事がわからぬと言えば過言であるが、それに近い錯覚を感じる。

  「アザミ、どうであろう」

  「似合うとるぞ。楽そうでええよ? ヌシらの衣は窮屈そうじゃけの」

  柔らかに言う。

  「衣はそのまま、位を示すものでありますから」

  トクサが横からチクリと刺した。

  「ではチハラの民から見たコレはどうであろう」

  チハラの都でどう映るか。それが重要であった。

  「公的には、やはり難しいかと思います。格は感じられません。ですが私的に用いる分には良いのではないかと」

  「チハラはニコシより暑いのだろ」

  「は。今頃から蒸し暑く感じる日が多くなります」

  チハラに住んでいたトクサ、そしてオリベノヒメは頷く。

  「チハラで売れるか?」

  「売る事は...」

  オリベノヒメは一言発し、俯いた。

  反論か、否定か。それとも憂慮であるのか。俯いた顔からは読み取れない。そもそも私は顔色を窺うのが苦手なのだ。

  「今日ヒメを呼んだのは、率直な意見を聞きたかったからだ。私はチハラの事も人の事も、織物についても浅学である。教えて欲しい、忌憚なくな」

  オリベノヒメは「恐れながら申し上げます」と一礼して顔を上げた。

  「チハラの都には官下の[[rb:工場 > こうば]]が存在しております。優れた職人も多くおり、仮にこの衣を市に出したところで、直ぐに同等。いえ、それ以上の物を作ることが可能かと思われます」

  「模倣品が出回り、市場価値が下がると言う事か」

  オリベノヒメは頷き、続けた。

  「人も材もチハラが上。競り合う事は難しいかと。それに、この布帛は手間と時間がかかります。糸が細い分多く織らねばならぬ為、見た目と裏腹に糸を多く使用します。利は少ないかと」

  ヒメは大きく頭を床へ付けた。思う事は全てと言う事だろう。

  「利益が見込めぬ上に模倣されてしまうのでは、難しいな」

  他の者に掠められては元も子もない。唯一無二の宝でなければならないのだ。

  さて、と見回した。

  オリベノヒメと、トクサは目を伏せている。アザミだけがじっとこちらを見ていた。

  「何か、あるか?」

  尋ねると、アザミはふっと笑みを浮かべた。

  「ヌシらの言う高位の者に売ったらどうじゃ? ヌシら得意じゃろ、位をつけるのが。コレは上の者しか用いてはならぬ。下の者はコレをしてはならぬ。同じように、その布帛に位をつけろ」

  「格はないと、先程申し上げたでしょう」

  トクサがやや横柄に入る。アザミはふんと鼻を鳴らした。

  「ヌシが、位を授けんのか?」

  「それは...」

  面食らったように、口篭る。

  「もちろん、ヌシでもねぇの?」

  アザミの指が私を指す。

  「ミヤマの家はチハラでは中の上と聞いた。ならば、国で位を与えんのは誰じゃ」

  皆までは言わない。だがアザミの不敵な笑みは、私に全てを悟らせた。

  「[[rb:大王 > おおきみ]]と政を担うナカハラの家だな」

  「女がええぞ。ヌシのように布を見て心を踊らせる男も、珍しいじゃろ。まずは女に気に入ってもらえ」

  重ねてアザミは言った。

  珍しいと言われるのは遺憾だが、案外そうかもしれない。布帛を見たトクサは関心を示さなかった。

  貴妃が良い。クニの名を付けて献上する。今、ニコシノクニだけが、この業を持っていると伝えるのだ。

  「トクサ、都の宗家に助力を乞う。布帛を織る為の試算をまとめよ」

  「は」

  私はオリベノヒメを向いた。

  「すまぬが、続けて献上用の布帛を...」

  言いかけると、さらに一枚の布帛が目の前に差し出された。

  「随分と織っていたのだな...」

  オリベノヒメは俯き、顔を赤らめる。

  「初めての試みでしたので......楽しくなってしまって」

  今までの才女然とした顔ではなく、少女のようにはにかむ。才覚や地位、習俗。そんなものとは関係なく、人は楽しむものなのだと、私は感じた。

  「布帛の出来、業。そして知と才。思った以上に優れたものであった。まさに宝だ。礼を言う」

  「恐れ入ります。ですが」

  オリベノヒメが僅かに顔を上げ、そして美しく微笑みを湛えた。

  「アザミさまの布帛が無ければ、私は新たに織り方を考えようなど思いも寄りませんでした。全て布帛があってこそと思います」

  謙遜か、本意か。恐らく後者の心でオリベノヒメは額づいた。

  「ワシぁ、ぼろ布織っただけじゃ。遠慮はいらん。全てヌシの業と、誇ってええぞ」

  アザミの言葉に、オリベノヒメはもう一度恐れ入りますと口にし、下がって行った。

  「トクサの言うように、チハラの才とは優れたもんじゃの」

  皆が居なくなった室で、アザミはオリベの布帛を取り上げ言った。その顔に微かな寂しさが窺える気がしなくも無い。

  「オリベノヒメも言っていただろう。アザミの布帛が無ければ思い付かなかったと。誰が欠けても此度の布帛は成らなかったのだ。業が無いと気にする事はない」

  いつも豪放に見える妻も、チハラの女に引け目を感じる事はあるのだろうか。私は横に寄り添った。

  「私に必要なのは、優れた機織り[[rb:女 > むすめ]]ではない。トクサにしてもオリベノヒメの機織りが優れているから妻にした訳でもない」

  チハラビトとしてチハラに育ったトクサは、今ハヤセビトの中に身を置いている。そして縁もゆかりも無いこのニコシに暮らさねばならない。

  だからチハラを体現したようなオリベノヒメが必要なのだ。ただ一人で立っているのでは無いという、心の支えが必要なのだ。

  「ヌシはトクサの支えにはならんのか」

  アザミはどこか不思議そうに私を見つめた。アザミにとって主従は支え合うものなのだろう。私達のような絶対的な上下関係ではなく。

  「私は……主だからね。時に僭越にも見えるが、トクサは己から主従の垣根を越えたりしない。私がどう思っていても、トクサの支えにはならないのだよ」

  私は答えながらも考える。私がトクサの支えになろうなどと、思った事はあっただろうか。

  アザミの問いは、私の中で何時でも新しい……。

  私とアザミの間にある差異を感じながら、私はアザミの布帛を畳んで小箱にしまった。

  「大事にしまっとくほどのもんじゃねえじゃろ。手拭きにでもするぞ」

  アザミは勝手に小箱を開け、眉をしかめた。

  「なんじゃこりゃ。クズ入れか?」

  「クズではないよ」

  「クズじゃろ。なんじゃこりゃ」

  取り出したのは、穂先の開いた筆。

  「初めて手習いを始めた時の筆」

  「この木の皮はなんじゃ」

  「初めて書いた字だよ。恐らく天地玄黃、宇宙洪荒と書いたつもり」

  「はぁ...? じゃ、この石ころはなんじゃ」

  手のひらほどの石を持ち上げる。やや青みがかって、ゴツゴツとした質感の石だ。

  「それは私がハヤセからこちらに移った時、両国を跨ぐ沢で拾ったんだ。この地が今日から私の故国になるのだと、幼いながら思ったよ」

  アザミが勝手に拡げる中身を、私は一つずつ丁寧に戻した。

  「これはね、言わば思い出なんだ。古い事は新しい出来事に押されて霞んで行くだろ? 忘れたくない思い出を、こうして物にして置いておく。ふとした時に、ありありと思い出せるんだ」

  一番上にアザミの布帛を置く。

  「忘れたくない思い出。貴女の布も……」

  私の大切なもの。

  「しっかしよ……」

  不意にアザミが肩を揺らした。

  「ヌシはいつも大人も及ばねぇ事を考えよるが、そういうトコは年相応に子どもじゃの」

  「子どもって…」

  「ほうじゃろよ。石ころやら木の皮なんぞが宝とはよ」

  笑みを零し、私の肩を抱く。

  「思い出は変え難いものだろう」

  馬鹿にされてるみたいだ。私は軽く睨む。

  「別にヌシを笑っとるわけじゃねぇさ」

  アザミが言う。嘘つき。笑ってるじゃないか。

  「そういう姿が、なんぞ可愛いらしゅうてたまらんのじゃ」

  少女のように、ニッと歯を見せた。

  「……可愛い……」

  男に掛ける言葉じゃない。私は貴女の夫なのに、貴女はそうやって私を子ども扱いする。

  「私は貴女の夫だ。歴とした男で……」

  「おぉ、知っとるぞ。ほんで、ワシぁ存外そういうトコを好いとうよ」

  「っ!!……ん、あ。はい……」

  なんと答えたら、威厳が保てたのだろうか。思わず返事をしてしまった己を悔やむ。

  「そういや、昼間から女の元へ来るのはアカンのじゃったの」

  覗き込むようにアザミは言う。心配してるのでは無い。イタズラ心が口元に見えていた。

  「トクサは今忙しいから、もう来ないよ」

  今頃オリベノヒメと布帛の算段をしているはずだ。私と違って勤勉だからな。

  「ほうか」

  「そうだよ」

  素直に答える。妻の前に威厳など要らないかと思った。

  「だから……今少しここで休んでいく」

  私はアザミの胸にもたれかかる。相変わらずアザミの体は温かい。私はその温かさに、ほっと息をついた。

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