オオカミの歌—再演を求めて―

  ガサッ、ガサガサ……。

  わたしは草むらをかき分けながら獣道を進んでいる。

  初めて来た時と同じ様に迷うかと思うような道。

  その向こうにわたしが「求める場所」はあった。

  しかし、昼前に山に入ったのに今はもう夕暮れ時。

  一応一泊分の準備はしているけど、夏の日差しの中で山道を歩き続けた疲労は軽くはなく、一つ間違えれば遭難してしまう可能性もある。

  そんな危険を推してでもわたしはもう一度「あの場所」に行きたかった。

  わたしにとって忘れられない「あの場所」に……。

  しかし、探せども探せどもあの場所にはたどり着けない。と言うより獣道の本道はもちろん脇道を探してもあの場所は影も形も見えない。

  あたかもあの場所、そしてあの場所で起きた事はわたしの見た幻だったと言わんばかりに。

  そうこうしている間に獣道が開く。

  遂に求める場所にたどり着いた―訳ではなく、いつの間にか森を一周してふもと近くの小さな社を根元に抱く大きな木と小さな泉のある広間に戻ってしまったのだ。

  「ふぅ……」

  地元の人もめったには来ないけど、ここからならよほど迷わない限りふもとの村までは一直線である。

  戻ってきた安堵と求める場所にたどり着けなかった無念、そして丸一日歩き続けた疲労にわたしは軽く肩を落とす。

  「やっぱり……行けなかったな」

  すでに夜の帳に包まれた中、仕方なく背負っていたザックを下ろして寝袋と簡単な食事の準備をしていたわたしはザックの中に大事にファイルされていた一枚の写真を見つける。

  そう、それは「あの場所」、そして「あの出来事」が夢ではなくわたしがこの身で体験した「事実」なのだと言う確かな証拠だった。

  この写真をもとにこの森に入ったわたしは「あの場所」に行って「あの出来事」に触れ、なぜかこうして戻ってくる事ができた。

  その面影を確かめるためにわたしは「あの場所」を探して森を歩いている。

  しかし、現実問題としては「あの場所」があったであろう獣道を探しつくしても結局見つかりはしなかった。

  仕方がないと言えば仕方のない話ではある。

  実際体験したわたし自身がここから「あの場所」にたどり着いた理由、何より「あの出来事」自体をきっときちんと説明できないのはわかっている。

  「あの出来事」に関わったわたしでさえもう二度と「あの場所」にはたどり着けない。

  そんな予感―いや、確信がある。

  それでも、それでもせめて「あの場所」に近付きたい。

  「あの出来事」の余韻を確かめたい。

  その時、わたしの脳裏に何かがひらめいた。

  わたしは反射的に立ち上がると、汗の染み込んだ上着を文字通り引き抜くように脱ぎ捨てる。

  下に着ていたシャツやブラジャーも脱ぎ捨てた中から裸の胸が露になるけどそんな事は気にも留めない。

  その勢いで靴下と共に靴を脱ぎ捨て、ズボンを一気に引き下ろす。

  ズボンをひき下ろしたあと最後の一枚がまだ足の間に残っていたが、それも引きちぎる様に脱ぎ捨てる。

  あっと言う間にわたしの姿は一人の女性ハイカーではなく、生まれたままの姿をした一匹のメスの人間へと変わっていた。

  日差しの残り香をまとった風が何も身につけていない素肌を駆け抜ける。

  「う~ん……。」

  落ち着く。気持ちいい。それが最初に感じた気持ちだ。

  人里離れた山の中、しかも夜中で全裸になるなんて普通なら余りにも危険な行為である。

  でもわたしの中では怖さとかよりも開放感や安堵感―そう、生き物本来の姿に戻ったような気持ちで一杯になっている。

  これがわたしの達した答え。

  あの時と同じ、衣服を着た人間ではなく裸の存在、いや一匹の獣として歩けば自然に「あの場所」を感じられるかもしれない。

  少しおかしな考えかも知れないが、わたしが「あの体験」から導き出したのはこれだった。

  でも、今のままではまだ足りない。今のわたしはまだ「人間」なのだ。

  もっと獣に近くならないと……しかし、迷ってはいられない。

  「あん……あはぁ……。」

  そんな気持ちに応えるようにいつの間にかわたしの口が軽く甘い吐息を漏らす。

  「人間」から「獣」になった事でいつの間にか高揚と興奮、そして安らぎが全身を覆っていたのだ。

  そう言えば初めて「あの場所」でこうした時も同じ気持ちが満ちていた。

  いける。今のわたしは人間じゃない。わたしは人間の姿をした狼なんだ。

  きっと「あの場所」に近づける。そしてそこで出会った「大事なもの達」を感じる事ができる。

  それを確かめるようにわたしは狼の様に手足を地面につける。

  そこから瞳を閉じ、思い切り深く呼吸を繰り返す。

  裸の人間としての自分から裸の獣、そして……「あの時の」自分の姿に変わっていく自分をイメージする。

  「あの場所」の先で起きた事、出会ったもの、変わっていった自分……。

  それらを意識するうちにわたしの中で色々なものが満ちてくる。

  その満ち満ちたものを一度押し込める様に全身をちぢ込める。

  身体中に力がみなぎってくるような感じがする。

  そして、地面についた手足に力を込めると一気に身体をそらし、

  「あぉーんっ!」

  と吼えた。

  それこそ「あの時の」わたしの様に。

  今なら、今のわたしならきっと「あの場所」に近づける。

  「あの場所」の先にいる「家族」に自分はここで元気にしている、そう伝える事ができる。

  そう感じながらわたしは静かに立ち上がると夜の森の中―その先にあるであろう「あの場所」へと歩を進めていった……。

  ―とは言ったもののやはり「あの場所」に着く事はできず、わたしはほぼ一昼夜生まれたままの姿で山の中を歩き続けた。

  それこそ「あの時の」わたしと同じ様に。

  「あの場所」には行く事も、近づく事も出来なかったのは仕方がないとわかっている。

  それでも、わたしの中に確かなものがあったのは間違いない。

  わたしはそう感じながら元来た場所に戻るとその身体に衣服をまとい、確かな足取りで村に戻っていく。

  またこの場所に来て、ここで感じた「確かなもの」を心と身体で感じる為に。

  了