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[chapter:サンプル]
「好きなの借りてきなさい充」
「うん!」
小学五年生の根塚充(ねづか みつる)は母親と一緒にレンタルDVDショップへと足を運んでいた。充は月に一度のこの日を心待ちにしていて、それがまさに今日だったので学校まで待ち遠しさを隠しきれずに内心そわそわとしていた。
充はいつものように好きなアニメの続きを見るために、アニメDVDコーナーの棚へと足早に向かう。いつもならば。
しかし今日は少し違っていた。充には、そこに行ったら入ってみたいある一つの場所があった。それは――
◆
「DVDが借りられるとこあんだろ」
「うん。俺も毎月お母さんと行ってるし」
「あそこって、エッチなDVDも借りられるんだぜ」
それは、教室で仲の良いクラスメイトが言った何気ない一言だった。その言葉が彼にひとつの好奇心を与えた。“そこ”は本当に実在するのだろうか、と。
◆
「本当にあるのかな……」
充はアニメコーナーを通り過ぎて目的の場所を辺りを見回しながら探す。しかしどこにもそれらしいコーナーは見当たらない。やはり友達の証言通りなのだろうか、と充は思う。
しかしそれは否定的なものではなく、確証的なものであった。ここまでは友達の言う通りだったから。
『あそこって、子供が入れないように見えないとこに隠してあるんだぜ。兄ちゃんが俺に教えてくれたし!』
『本当? それって、どこにあるの?』
『……そこのどこかにある、黒いカーテンの中だってよ』
――友達が教えてくれた場所。DVDレンタル店の中に存在する、黒いカーテン――もとい暖簾の奥。それは間違いなく実在した。所謂『18禁コーナー』の事だ。
子供にとってはそこは未知の領域。宝が隠された絶海の洞窟と同義の場所である。若干十一歳の充といえど、やはりエッチなものには興味がある。だからこそ彼は、そういう所に踏み入ってみたくなった。
「……もしかして、ここかな?」
充は店内を数分探してようやくそれらしき場所を発見した。黒い暖簾には立ち入り禁止を示す赤色のマークに「18」の文字。それこそ充の探し求めていた場所だった。
(だけど、本当は子供は入っちゃダメなんだよね……もし見つかってお母さんやお店の人や先生に怒られたらどうしよう)
そしてそこは本来小学生である彼が入ってはいけない場所だということは当然彼にも理解できた。最悪の場合、学校に報告される危険性を孕んでいる。そうなればクラスでも変な噂が立ってしまうかもしれない。
「やっぱりやめようかな……」
充は、不安からその足を後退させる。しかし、『でも一度だけ、少しだけなら気づかれないだろう』。そんな考えが充を誘惑して逃がさない。
この部屋に入るには大人にならなければいけない。でも大人になるまで何年かかるかわからない。少しだけなら、ほんのちょっとなら入ってみても怒られないかもしれないと、充は不確かな望みを稚拙な好奇心の免罪符とともに飲み込む。そして……
「やっぱり、少しだけ!」
充は、その奥へと足を踏み入れた。
それが彼の人生の終わりの瞬間となった。
「うわっ!?」
それは光だった。眩く光り、辺り一面を覆い尽くす光。そして、すべてを塗り潰すかのような光。
「うわあああああああぁ!?」
そしてそれは、充をも飲み込んだ。なすすべもなく充はその意識を手放した。
そして、彼が目を覚ました時には――
◆
「ああああぁ……あれ?」
目を覚ました充が立っていたそこは、見知らぬトイレ。しかもそれは綺麗なものではなく、便器がふたつあるだけの小汚いものであった。
「ここどこ……? DVDのお店じゃ、ないよね……」
コンクリートのタイル、少し茶ばんだ陶器製の便器。充のいるそこはどこからどう見ても公衆便所だ。しかも確認する限りは大分質が悪そうに見える。
暖簾をくぐった先になぜこんな場所があるのだろうか? エッチなDVDは? そもそもなぜこんなに狭苦しいのか? 状況のつかめない充はただ混乱するだけだった。
「は、早く戻らなきゃ」
そう呟くと充はすぐさま踵を返し引き返す。しかし、後ろを向いても目の前にはボロボロの扉が一つあるだけで、その奥にレンタルDVDショップがあるとは到底思えなかった。
しかし、そこから入ってきたのだから、その扉を開ければそれがあるはず。そう信じながら充は恐る恐るその扉を開けたその時、充は気がつく。
「えっ?」
自分の手が、指が、灰色の毛に覆われた太ましいものになっていることに。
その毛むくじゃらの手に違和感を覚えた充は、すぐさま別の違和感に遭遇することとなる。
ひとつは、トイレの外がレンタルDVDショップではなく無数の車が吐き出す排気ガスのせいで薄汚れた街中だということ。そしてもうひとつは……
「よう、遅かったじゃねえか」
見知らぬ男が自分に向かって話しかけてきたことである。
彼は見た感じでは推定五十歳位の中年男性といった感じの男で、なおかつそれは人間ではなかった。というのも、その姿は人間と獣を掛け合わせたような、まるでファンタジーの中にのみ存在する“獣人”であったからだ。
容姿はほぼ犬で骨格や体型は人間寄り、そして手入れなどしばらくしていないであろうぼさぼさの眉毛や髭が目につく。
顔は年相応にいかつく、目をぎらつかせて息を荒くしている。まるで発情期の犬のように。
「ずいぶん長い間トイレにいたようだが、まさかヤる前にシコってたのかあ? ま、お前は性欲魔人だもんな!」
「え? な、なに? おじさん誰?」
何より、その男が自分に気さくに話しかけてくるのだ。しかもまだまだ幼い充には彼の言うことが理解できない。
声を出した時充はさらにはっとする。自分の声がまるで自分のものではないような低く野太い声になっていることに。しかし声色は小学生の充のもののためかどこか気色悪い。
「あんだぁ? そんなガキみたいな喋り方してよぉ、新しいプレイか?」
「ちがっ……僕は!」
「僕だーぁ?」
充は反論しようとしたが犬男にがっちりと肩を組まれて萎縮してしまう。自分の置かれている状況が理解できずただ困惑するしかなく、そんな充を彼は訝しげに眺めている。
「お前は根塚充、もう五十過ぎの変態親父だろ? もちろんこの俺、犬原元次(いぬはら げんじ)もそろそろ還暦の変態中年親父だけどなっ!」
そう言いながらガハガハと陽気に笑い飛ばすこの元次という名の男。
近くに寄られると煙草混じりの口臭が充の鼻をついた。何日も風呂に入っていないのか体臭もかなり嫌なものとなっている。中年男の汗と混じっているからなおさら臭い。
「そういやお前その服何だ? さっきまでそんなボロッちいモン着てたか?」
そう言われて充はふと自分の体を確認する。服はさっきまで着ていた子供服と同じもの“だったであろう”布切れが体のそこらじゅうに貼り付いていた。
そこからちらちらと見える全身はモサモサとした灰色の毛で覆われていて、何やらドブ臭い匂いを発している。
靴と靴下もボロボロになっておりかろうじて履いている状態だ。
何よりブリーフが横に拡張されて今にも弾け飛びそうになっていて、そこからピンク色の細い尻尾がチョロリと出ている。
「ぼっ、僕の服が……」
「そんな格好してちゃ露出狂と間違えられちまうぜ。ちゃんと着替えとかないとな」
ちょっとした嫌味を言いながら元次は歩く。仕方がないので充も彼の後をついていくことにした。
◆
「ほれ、お前の分だ。なーに、昨日は仕事があったからな。たまにはお前にもやるよ。いつも気持ちよくさせてもらってっしな」
そう言って元次は、コンビニで買ってきたであろうビールとおにぎりを渡してきた。さっきまで自分はただの興味津々な子供であったのに、どうしてこんなことになっているのだろうと涙ぐむ。
「おいおい、泣くなよ。久しぶりのメシだったんか?」
「……お酒は、ダメだよ。僕未成年だし」
「何言ってんだ? 俺もお前も二十歳なんてとっくに過ぎちまっただろぉ?」
その口ぶりからやはり今の充はかなり歳の食った男になっているらしかった。レンタルビデオショップから小汚い街に飛ばされた挙句、こんな情けない中年の体にさせられるなんて、充は到底思いもしなかった。
(どうして? あんなとこに行こうとしたから神様がバチを当てたのかな?)
そう思いながらおにぎりを食べる充。目からは涙が溢れて止まらず、ただ一人泣きじゃくるしかなかった。隣に座る元次が困惑していても涙は止められなかった。
「おいおい、なんか今日のお前おかしいな? 何か嫌なことでもあったんか?」
「あの……元次さん。僕の話を聞いてくれますか?」
「ん?」
充は彼に今までのいきさつを全て話した。
元は自分は彼と同姓同名の小学生の子供であったこと。レンタルビデオショップの18禁コーナーの暖簾を潜ったらここに飛ばされて彼になっていたことを。
「ガハハハッ、なーんだそりゃ。お前が考えた作り話かぁ? 俺とお前は二十年くらいホームレスやってる仲だろ? んな冗談嘘だってわかってんだぜぇ?」
「違うんです……本当に僕は……」
「あん? まだ言うのか? いい加減しつけーぞ」
あまりにも頑なな充の口振りに、常に笑顔だった元次の表情が強張りだす。さすがにまずいと思った充は押し黙ってしまった。
「あ、ご、ごめん、なさい……」
「本当に今日のお前なんかおかしいなぁ。ま、そんな時は一杯引っ掛けてぜーんぶ忘れちまえっ。で、今日も俺とヤってスッキリしよーぜっ!」
元次は充に缶ビールを渡す。どうやらこれを飲めと言っているらしい。しかし充は抵抗があった。さすがに今は大人の体になっているとはいえ、酒を飲むのはよくないのではないかと。
しかし充の父は酒を飲んで酔っ払うといつも楽しそうにしていた。充は幼心に酒は飲んだ人を楽しくしてくれるものだと理解していた。
ならば、飲んでみればいいのではないか? 飲めばこの嫌な気持ちも一時は忘れることができるのではないか? 充はそう思った。
「う、うん……」
充は意を決して缶ビールのプルタッブを開ける。そしてそのまま口をつけてそれを一気にを流し込んだ。
「んっ……にが……っ」
充の口の中に炭酸の刺激と苦さが広がる。未知の味覚に充は一瞬抵抗感を覚えるが、不思議とそれは悪くなかった。むしろ、それが美味しいものに感じたのだ。
「ん、んんっ、んぐっ……!」
そのまま勢いに任せてビールをぐびぐびと流し込む。充はこの世にこんなにうまいものがあったのかと感嘆した。そして、体がふわっと熱くなっていく。
「ぷはぁー!」
大きく口を開けながらビールの味の余韻に浸る充。乱暴に缶をコンクリートに叩きつけるその姿は本当に彼が粗雑な親父になっているようだった。
「おいしい……」
「ハハ、うめえか。ならこれもやるよ」
満足げな充を目にした元次は笑いながら自分の分の缶ビールも充に渡す。充はそれをひったくるように受け取るとそれも一気に飲み干してしまう。
(んっ……はれぇ? なんだぁ……?)
二本目のビール缶を飲み干した充は、自分の体に違和感を覚える。何やら体がかあっと熱くなり、自分がふわふわと宙に浮いたような感覚に苛まれる。
頭は靄がかかったようにぼんやりとしてさっきまでの嫌な感情が思い出せない。それに、自分が何に悩んでいたのかも、よく思い出せなくなった。
(あれ、僕なんで泣いてたんだっけ)
黒い暖簾――DVD――エロい――まばらに記憶を思い出すものの、やはりそれが何かわからない。充はさすがにおかしいと思ったが、その感情もすぐに忘れてしまった。
「あぁ、な、なんか楽になったな。あ、ありがとう、元次さん」
「ハハ、急にさん付けなんかしてももうビールはねえぞ。じゃ、トイレに行くか」
「え? おしっこにいくの?」
「んなわけねえだろ。トイレっつったら、“アレ”しかねーだろうに」
◆
言われるがままに元次について行った充は一緒に公園のトイレに入る。そこはあまり人が入らないのかかなり汚く、トイレ自体も和式便所が二部屋だけというかなりみすぼらしいものであった。
ふと鏡を見るとそこには犬男である元次と、その元次と同じくらい歳を食っている鼠の獣人の姿があった。
ぼさぼさの灰色の毛、チョロリと伸びた尻尾、丸い耳に半開きの黄色い目、そして野暮ったく伸びた出っ歯。腹はぼんと突き出て、それ以外の脂肪もムチムチと弾力がありそうだ。
(あれ? これ誰? ……もしかして、僕なの?)
見覚えのあるボロボロの布切れが、この鼠の男が自分――根塚充であると証明しているようだ。ここで初めて充は自分が本当に中年親父になっていることを確信させられる。充は先程まで巡っていた酔いが急激に冷めていくのを感じた。
「さーて、さっさと尻出せ。解してやるから」
そう言うと元次は袋から瓶のようなものを取り出すと、その中から液体を手に取り絡ませる。それがローションであるとは充には知る由もない。
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