「二人のマリ」
ブラムは、リュカオンの跡に続いて歩き続けた。
老狼の歩みは、見た目に似合わずしっかりとしていて、かつテンポが速かった。
追いつくも一苦労だ。
ブラムは、リュカオンの跡を必死で追いかけながらも辺りに注意を向けることを忘れなかった。
どこを見ても灰色。
道中、生き物の姿はなかった。
「ねえ、リュカオン。ここってどこなの?確か僕らは別の森にいたはずなんだけど」
しばらく進んだ時、ブラムは目の前に老狼に尋ねた。
「今は話しても理解できぬだろう」
リュカオンは前を見たまま、そう答えた。
「さあ、もう少しだ。頑張りなさい」
どれくらい進んだ頃だろう。突然、二人の目の前に大きな格子戸のようなモノが現れた。
格子戸の向こう側には、黒い死に装束を纏った金髪の女性が座っている。
格子戸は女性の背後にもあり、その奥には黒い毛皮のカーテンがかけられていた。
ブラムは辺りをぐるりと見回した。
格子の左右には障害物らしいモノがない。
彼はもっとよく見ようと、右に首を伸ばした。
格子戸の端は、奥の方つまり女性のいる方に向かって伸びている。
左に首を伸ばすと、そこも同じようになっているのが見えた。
続いて、上の方に目を向けると、丸屋根のようになった格子が目の前の戸と繋がっているのが見えた。
その瞬間。ブラムは、あることに気づいた。
目の前の格子戸。いや、それは格子戸ではない。
大きな鳥籠の一部だ。
死に装束姿の女性は、その鳥籠の中に閉じ込められていたのだ。
だが、一体誰が何のために、こんな大きな籠を作り女性を閉じ込めたのだろう。
そう思いながら女性の方を見ていると、突然女性が顔を上げこちらの方を見た。
ブラムは、目を見開いた。
マリだ。
髪と目の色は違うが目の前で囚われているのは、紛れもなく彼女だった。
「マリ!」
ブラムは声を上げながら鳥籠に飛びつくと、格子を手で掴みそれを引き千切ろうと思いきり引っ張った。
「待ってて。すぐに出すから」
彼はそう言うと、再び格子を握る手に力を込めたが、鳥籠はビクともしなかった。
「やめて、ブラム」
鳥籠の中のマリが言った。
いつものマリとは全く違う柔かな口調だ。
ブラムは言われるがまま手を離すと、彼女の緑色の瞳を見た。
彼の顔には困惑と落胆が入り混じった表情が現れていた。
マリは、申し訳なさそうな表情を浮かべながら話し始めた。
「この籠は、私が私を封じるために作ったモノなの。だから、これを壊せるのは私だけなの」
彼女の説明は、あまりにも謎めいていた。
ブラムは、混乱して首を傾げた。
「どう言うこと?もっと分かりやすく言ってよ。そもそも、ここって…」
「ここは、マリの心の中だよ」
リュカオンが、ブラムが言い終わるよりも早く彼の質問に答えた。
「マリの、心の中?」
とブラム。
リュカオン、またあの跡すようなうなずき方をした。
「そう。そして今君の目の前にいるマリは、これまで君が一緒にいたマリが封印したもう一人のマリだよ」
「えっと、つまり…。ここはマリの精神世界で、マリには二つの人格があるって意味?」
ブラムのこの言葉に籠の中のマリはうなずいた。
「大体は、当たっているわ。もっと正確に言うならば、私は、あなたの知るマリが失くした記憶だけどね」
「記憶?」
「そう。今日は、あなたにその記憶の一部見てもらおうと思って、そこのリュカオンにあなたをここまで連れて来てもらったの」
「僕にマリの記憶を?」
ブラムが尋ねると、マリはうなずいた。
「あなたは、私のために何度も命を懸けてくれた。だからあなたには知る権利がある」
そう言うと、彼女は後ろに首を回した。
「そうよね、マリ?」
マリがそう言った瞬間、後ろにかかっていた黒い毛皮が左に動いた。
と同時に、鳥籠の左側側から大きな黒い顔がぬっと姿を現した。
狼の顔。
その狼は、鳥籠をとり巻くように立っていた。
マリの後ろのカーテンは、この顔の持ち主の身体の一部だったのだ。
ブラムは、この狼の顔にも見覚えがあった。
人間の時と同様、毛の色が異なるが、それは紛れもなく獣化した時のマリの顔だった。
狼のマリは、血のように赤い目でブラムを見ながら口を開いた。
「これから見せる記憶は、今日私が斬りかかったヤツらと関係がある記憶だ。始めに言っておくが、決して楽しい記憶ではない」
「そして、その記憶を見ることは、マリの痛みを一部君自身が受けいることだ」
黒狼の言葉をリュカオンが引き継いだ。
その瞬間、二人のマリの顔に躊躇いの色が見えた。
黒狼が何か言おうと口を開きかけた。
だが、ブラムはそれを遮って言った。
「見せて。どんな記憶でも良いから」
二人のマリは、長いこと互いを見つめあっていたが、ついに決心したらしく狼のマリが前に進み出た。
「良いんだな?」
彼女の問いにブラムは力強くうなずいた。
「お願い」
すると、狼マリは口を大きく開けブラムの身体を呑みこんだ。
ブラムは暗闇の中で目を閉じた。