「記憶の旅」
「目を開けなさい」
どこかからマリの声が聞こえてきた。
ブラムは言われるままに瞼を持ち上げた。
彼は小さな薄暗い部屋の中にいた。
目の前では、血のついた緑色のドレスを纏った黒い髪の女性が質素な作りの椅子に腰をかけていた。
ブラムは女性の顔を見た。
「マリ…?」
彼は首を傾げた。
今よりずっと若く見えるが、その顔は間違いなく彼女だ。
だが、どうも様子がおかしい。
目の前のテーブルに赤い瞳を落とすその姿には、ブラムの知っている荒々しさがない。
それに、髪や目の色も違う。
「あれは、昔の私。あの頃は、まだ十七だった」
また、マリの声が聞こえた。
喋っているのは、目の前のマリではない。
その証拠に彼女は口を一切動かしていなかった。
「つまり、僕は今マリの記憶の中にいるってこと?」
ブラムは姿の見えないもう一人のマリに尋ねた。
「そう。でも、あなたは、ここにあってここにない存在。あなたは、この光景を見ることはできても干渉はできない」
またしても訳の分からない言い回し。
「素直にそうだって言えば良いのに…」
ブラムは一人愚痴をこぼしながら、目の前でうなだれる十七のマリを見つめた。
と、その時だった。
ガチャリ。
突然、背後で物音が聞こえ、ブラムは後ろを振り返った。
そこには開け放たれた扉があり、向こう側から見覚えのある顔のジン物が入って来た。
黒い帽子とコート、そして白髪。
マリが突然発狂して襲いかかった二人組のうちの一人だ。
「少しは落ち着いたか?」
男は部屋に入ると、マリの前に立ち言った。
マリは、コクリとうなずいた。
「選択肢は、ないんですよね?」
彼女は男に尋ねた。
今度は男がうなずく方だった。
「申し訳ないが、そうなる」
彼はそう言うと、コートのポケットから小さな日記帳のようなモノを取り出すとテーブルに置いた。
「ここにサインを頼む」
男はページを開き、ある一点を指さした。
彼の示した箇所以外には黒いインクで何やら文字が書かれていた。
マリはテーブルの上に置かれていたペンを手に取った。
「この時だった。私はウールヴヘジンに飼われるようになったのは…」
また姿のないマリの声が聞こえてきた。
「あのヒトたち、やっぱりそうだったんだね」
ブラムは、紙にペンを走らせる少女のマリを見ながら言った。
馬車に描かれた紋章を見て、すぐに分かった。
ウールヴヘジン。魔物と人間によって作られた魔物討伐組織で、退魔騎士が力をつけてきた現代においても魔物の討伐と言えば、多くの人間は彼らをまず頼ろうする。
彼らを統治する人物は、教団でも高い地位にいる人間で、彼に対する信頼は上流階級の者から下層階級の者まで広まっていた。
そのため、ほとんどが素性の知れない人物である退魔騎士たちよりも仕事をキチンとこなしてくれるという確証が持てた。
実際、司祭や彼の束ねる組織に対する悪い噂は一切なく、あったとしても大抵はデマとして抹消されていた。
他の魔物と同じようにバケモノと蔑まれはしたが、ウールヴヘジンへの人々の信頼は、それと同じくらい強かった。
ブラム自身も彼らの噂を耳にしては、彼らに憧れに似た感情を抱いたりしたものだ。
マリが、そんな組織の一人だったなんて…。
ブラムは驚きと感動の混じった気持ちで再び目の前のマリに目を向けた。
彼女は、紙の上に自身の名前をゆっくりと刻みり込むように書き綴った。
M、a、r、i、e、 G・・・。
その時。突然目の前が真っ暗になり、次の瞬間ブラムはまた違う場所にいた。
そこはテントの中だった。
どこにでもある普通のテントでない。
ブラムは、前に一度ここに来たのをハッキリと覚えている。
リュバンの王ロキの専用テントだ。
テントの中には、黒髪のマリとロキ、そして見慣れないジン物が二人それぞれ椅子に座ったりその場に立っていたりしていた。
一人は女性。目の前のマリと同じ黒髪で黒いドレスを纏い、椅子に腰かけるロキの隣に従者のように控えている。
もう一人、マリの隣で彼女と同じように地に跪いているのは黒い燕尾服を着た男だ。
燕尾服の男はロキに敬意を払う姿勢を取りながらも何度となくマリの方に視線を向けていた。
マリは白い軍服のような服を纏い、腰には古びた長剣を帯びていた。
「お前たちの願いは、分かった。しかし、お前たちのやろうとしていることは、恩人であるウールヴヘジンを裏切ることだ。
その覚悟は、あるのだろうな?」
ロキは、マリと男に向かって尋ねた。
「かまいません。俺は、コイツと契約を交わした時からコイツのために全てを犠牲にすると誓いました。今更後悔などありません」
燕尾服の男は顔を上げそう答えると、マリの方を見た。
ロキは「うむ」と唸りながらうなずくと、マリの方に視線を移した。
「お前はどうだ、マリ?」
マリは、ゆっくりと答えた。
「あの頃の私なら、躊躇っていたでしょう。でも、今は違います。
あのヒトたちが掲げる理想は、ただのまやかしでした。私は目の前で多くの仲間を失い、またこの手で仲間を殺しました。
でも、人間は私たちを対等に扱うどころか私たちを殺そうとする者もいる始末です。
私は、もう人間の道具ではありたくありません。
お願いですロキさん。私をいえ私たちをリュバンの国民にして下さい」
マリはそう言い終えるとロキの赤い目を真っ直ぐ見つめた。
二人は、長いこと見つめあった。
「よかろう」
しばらくして、王は言った。
「マリとアゾット、今日この時をもってお前たちを我がリュバンの国民とする」
彼はそう言うと、隣に控えていた女性の方を見た。
「そう言うことだ、デボラ。同時にお前を、ここから追放する。後は好きなように生きろ」
王の言葉に女性は突然立ち上がると、叫ぶように言った。
「いいえ、ロキ!私は、あなたの妻であり使い魔。あなたなしで生きることなど考えられない!」
「嘘を言うな。お前、本当はまた人間と一緒に生きたいのだろう?さっきも話したようにお前の抜けたところは、この二人が埋めるから、何も心配することはない。これは、永久追放じゃない。帰りたくなったら、帰って来い。それでおしまいだ」
ロキはそう言うと、「早く行け」と女性に向かって手を振った。
女性は、さらに何か言おうと口を開きかけたが、結局何も言わず彼に向かって深々と頭を下げた。
「王よ。あなたへの恩は一生忘れません」
彼女は最後にそう言うと、そのままテントを出た。
そして再びブラムの前で世界が暗転した。
再び光が戻った時、彼は再びテント中にいた。
王のテントでない別のテントだ。
テント中ではマリが、腰に剣を差して出かける準備をしていた。
ふと横に目を向けると、アゾットと呼ばれていた男が椅子の上であぐらをかきながら彼女の方を見ている。
「親に会いに行くだけなら、剣はいらないんじゃないのか?」
アゾットの問いにマリは壁にかけていた上着を取りながら答えた。
「何だかないと落ち着かなくてね…。それに、ちょっとだけ嫌な予感がするの」
彼女は、そう言いながら黒い上着を羽織った。
「モリガンとかいう人狼のことか?アイツはもう死んだのだから、何も心配いらないだろう?」
アゾットはそう言ったが、マリの表情は晴れなかった。
「だと良いんだけどね…」