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光なき途 01

  一般に輝いて見える途、果たしてその当事者が輝いているように感じる事なんてできるのだろうか。

  二人と別れて二時間。家に帰って必要最小限の諸々を済ませゆっくりと過ごそうかと思いやらんだ頃、自室の窓からは相も変わらず星すら見えない夜空が覗く。

  部室と大して変わらない雑然とした部屋の中、祖父から貰った200mm口径の天体望遠鏡は貴重な部屋の角を占領している。バズーカーみたいだとからかわれた事もあるけれどこの部屋で最も高価な道具、手入れも怠ったことは無い。しかし優れた道具であっても明るすぎる夜空を見通すことは叶わない。

  学習机にも積み重なった本の塚を押しやって思考の地層をプロットしては行動を振り返る。手身近な研究用ノート空白ページを開いて、普段から持ち歩いている安い万年筆で題名は『何処で間違えたのだろう』。

  今日一日の出来事があまりに濃くてタイムスケジュールに従って書くべきか、諸般の発端から枝分かれさせて書くべきか。右手は宙へ読めない字を書こうとして、その軌道は勉強机に据え付けられたライトに照らされてペン先が鈍く光る。指揮棒にしては些か無骨なそれ、高校生に進学するとなって顔も覚えてない親戚から贈られたそれは膨らんでいた理想とは離れて、プラスチックと鉄で出来た代物で万年筆というには名前負けしているような気もする。安ピカの決まり切った贈り物、同額の図書券の方が専門書に費やせたのに。

  碧い海を一滴塗り広げて端が乾くと黒く見える、先に書いた題はとうに黒く定着して紙面を染め残る。タイムスケジュールに従って書こうと決めて一行降ろし紙面を触れるその時。

  「あ、とこれは」

  ザリザリと音立てて残る溝、インクは流れ込まず浮き出てこない。仕方なしにそばに置いたコップの水にペン先を洗うと深い青色が歪な円を描いて水面を走る。

  上下に固まったインクを潤びさせるように揺らして描くマーブル、マドラーみたくかき混ぜてみるのも良いけれど透明から水色へ変わっただけの変哲も無い水に面白みを感じるわけも無い。真下に降りるインクの塊と年輪状に浮く碧い筋をぼんやり眺めて、やたらゴワゴワする紙製ウエスでペン先を拭ってやる。長く押し当ててしまうとインクがどんどん外に吸い出されるからものの五秒とかそういった辺りであるが。

  改めて紙面にペン先で紙をひっかいて何重にも掠れた筋を残す、ペン先にまでインクが伝って来ていないのかとピペットの遺滴を切るように振り目下の紙面に青黒い飛沫を作ると、意味を持たない点に乱された紙上の風紀。

  意図の無い点に意図を探す悪癖は黒ずんでゆく点に縁を見出し、長く見ていられなかった瞳が射抜いているようにも思える。あの時言えなかった言葉は知りたくて知ろうとしなかった僕が遺してしまった後悔はどこへ。

  乱暴に研究用ノートを閉じて机に積み重なった本の塚に投げて、手に握った万年筆はキャップを締めて机上に転がす。

  右手にべたりと濡れたインクは肉球の隙間や被毛の奥にまで染みつき青臭い、やってしまったと紙製ウエスで拭っても落ちず、洗面所に走り洗ってもなかなか落ちないインクに諦観を学ぶ。

  噴出した問題に手を焼き振り返ることもできないそんな夜は机に戻ってうつむいていると明けていた。

  カーテンからこぼれる光はただ痛いだけ。重苦しい体を引きずってなんと言うことも無い一日、学校に行くのも努力義務のはずだけど世間は狭く行かなければならないらしい。

  痛む頭と寝違えた首や肩、学生服に着替えて必要最低限の道具類と行きずりの本を鞄に入れて変哲も無い通学路を無心に歩く。遅刻ギリギリに学校に着くというのは目立つ行為だけど朝の怠さには代えられないから普段は運動しなさそうな生徒に紛れて校門へ走る。

  昇降口で滞る群れと群れは一目で違いが分からないくらいに雑多な集団で、時間を掛けて見てやれば同定は出来るだろうけれど主体性のないクラスタに属していられるほど僕は無個性では無いだろう。上履き引っかけて教室のドアを引くと一瞬こちらを見て各々の時間を過ごすクラスメイトたち、気にならない存在なのは楽で何故見ようとするのか分からなくなるけれど。おおよそ口うるさい担任が来ているか連れが来たかそんな篩掛けをしているのだろう。

  肩に掛けた鞄を降ろし、自分の席に着くとホームルームまでの時間を待つこの瞬間がとても退屈になる。教室なんて狭い空間でなぜこんなにはしゃげるのか、反響する声に愚痴を零す。気分屋であっても授業は聞いているし成績も悪くはない……はず。中間試験すら実施されてないような時期だしクラスメイトどうしの評価なんて成績如何なんかより気が合うか分かりやすい悪癖が無いかそんな第一印象で選別されているに過ぎない。

  教室の後ろの方から観察するのも大分飽きたけれど、五分に満たないはずの待ち時間に本を開くという選択肢は無く一時間目の教科書とノートを用意して筆記具を並べる。視界の端で捉えたオッドアイの猫は居たけど、もうどうでもいい。昨日の事を反芻するのもいらぬ波紋を広げるだけに過ぎないし、予測通り普段通りのお喋りしているし。

  むしろ何故僕がわざわざ告白するに至る程心乱されたのか。格別な理由はいつしかかき消されて、鷲己の奴とこれからどう話していけばいいのかそっちの方が重要に思える。きっとそれはお互い様なんだろうけれど、蟠ったこの感情に答えを出すにはまだ洗う必要があるだろう。

  そんな調子で教室を観察していると初老の担任がガラリと音立てて入ってくるそんな一日の始まり。途中より始まる頃の方が憂鬱になるのは何故だろうな。

  等間隔に切り分け収めこまれた授業を生徒の前で広げるだけ、パッケージングされたそれに生徒の出来は反映されずただ流れる。淡々と与え飲み込む給餌に他ならないし質問すると周りの目が刺さる。体育は体力を消耗するだけで何を学べるのか分からないし、歴史は大きな流れを繰り返すだけ。平坦に無気力に望んでいなくとも与えられる授業と同級生の応酬を受け流して、昼になれば部室に籠って昼食片手に集積された資料を嚙み砕く。

  午後の授業も済み、放課後になれば部室にまた戻る。図書室へ本を借りに行ったりする事はあっても、長居する事はあまりない。そうして部室で調べ事や作業していると寝虎がいつの間にか仮眠スペースを侵略していたりするけど、こいつの癖は数年前から知っていたし一学期にして諦めの境地に立っている。

  「たまには終了時刻まで軽音部で活動するって考えは無いのか。こっちも休憩しないと作業効率下がって困るんだけど」

  定位置、窓際の作業机から手を止めずに投げかける。

  「気が向いたら」

  気だるそうに答える寝虎。暫くしていびきを立て出したらもう手が付けられないし、僕は僕でやる事があるのでしょうがなくため息だけ吐いて手を再び動かす。

  食指が動く時とそうでない時の差が激しいこのムードメーカーはクラスや部活動での話しとかあんまりしないし、この部室以外でどう振る舞っているんだろ。この部屋にある物で、こいつが興味を持ちそうなものなんて無いだろうし本当に寝に来てるだけなのかな。

  そんな毎日、人通りの少ない旧校舎で所謂青春といえるようなイベントの無い日々を送り続けて二週間。ただあいつが居ないだけの今まで通りの日々は、とても自由でしがらみが無くて……退屈だ。

  そう先日あったあれはまだ答えが出せないし無理に急ぐことも無い。ただ日常に戻って観察して。観察して、いつ何をしたら結果が返ってくるの。観測するなら働きかけなければ反応しない。そんな当たり前の事を見逃すのは違う。

  「なあ、最近あいつどうしてるんだ」

  耳と尻尾が垂れて居るのがガラスに反射して目に映る、答えを探そうとして経過観察をしていない。すぐそばに寝転がっている寝虎に問いかけると口の端を吊り上げて、

  「あいつなら別に俺に聞かなくても、分かるんじゃないか。二人とも俺よりか真面目で頭良いんだし」

  こういうところ、どうしようもない腐れ縁のはずなのに一人だけ急に訳知り顔で。なんとなく繋がっていられるのは案外こいつのおかげかも知れない。

  無駄に感心した数秒後、普段静かなだけに響いた廊下の足音に両耳を立てて反応する。観測者効果からは逃れられないけれど部室の扉越しに見える影。こちらが足音立てるとすぅっと消えてゆくその影を追って、丈の長い白衣を蹴りたて入口まで駆け足に引き戸を押しやり廊下に出ると所在なさげに振り向く見知った顔。

  「僕は、君をもっと知りたいんだ」

  長く尾を引く影は先に続く廊下に吞み込まれて、見上げられた蒼い瞳だけが僕を射抜いた。

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