ライカンスロープ 第26話

  中部地方、太平洋に面したとある港にて。

  日中の賑わいとは対照的に、深夜は波の音しか聞こえない。

  月も星も雲に隠れてしまい、灯台の光がよく目立つ。

  息を吸えば潮の香がする。微かに、濃い血の臭いも混じっていた。

  (ちくしょう。あいつら、やられたのか?)

  大型コンテナが並べられた倉庫の中を二人の男が歩いていた。全身黒ずくめで、それぞれサプレッサーを付けた拳銃とサブマシンガンを手にしている。

  二人は懐中電灯の光を頼りに周囲を警戒しつつ進む。しばらく歩いていると、床に大量の血痕があった。

  血痕は、何かを引きずったように伸びている。二人はそれを辿っていった。

  「くそっ!」

  血痕の終着点には、想像どおりのものがあった。血と骨と肉片の集合体。変わり果てた姿となった仲間だった。

  「やっぱり、逃げ出していたか」

  「探すか?でも、俺たちの手に負えないぞ」

  「ああ、早く逃げよう。まだ近くにいるかもしれないし」

  今後の行動について話し合っていると。

  「ぐっ!」

  上から細長い腕が伸びてきて、拳銃を手にした男の首を掴み引っ張り上げた。

  「ぎゃあああ!!」

  コンテナの上からは、悲鳴と血しぶき、そして肉がつぶれる音がした。

  サブマシンガンを手にした男は走り出した。倉庫の外に出ると、振り返らず車まで走る。

  「はっ!?」

  男は急停止した。車が燃えている。

  車の周囲には怪物がいた。イヌ科の獣に似た頭部に、50センチ程度の太い二本足が付いている異形の姿。車を容易く破壊しているため、顎の力は強いらしい。

  「キャア!!キャア!!」

  獣たちが男に気付いた。ぴょんぴょんとジャンプを繰り返しながら男に向かってきた。

  「うわああああ!!!」

  男はサブマシンガンを撃つも、獣は小さくすばしっこいため当たらない。3秒も経たずマガジンは空になった。

  男は逃げ出した。しかし獣の方が速い。

  獣は男に飛び掛かった。殺意を込めた爪牙が迫る。

  その刹那、空から円柱状のものが落下し、男の背中と獣の間で炸裂した。

  衝撃と共に閃光と爆音が広がる。

  男と獣たちは視覚と聴覚を失い、その場に倒れた。

  「うわ!?」

  男の体を誰かが掴んだ。男はもがいたが、殴られ気を失い上空へ連れ去られた。

  「ギャン!!」

  獣たちの横っ面に、散弾が命中した。

  視覚と聴覚が麻痺した獣たちは、無防備で被弾し倒れていく。

  ショットガン、イサカM37の射手は巨躯の獣人だ。戦闘服がはち切れんばかりの筋肉を備えており、バレルもストックも切り詰められたイサカがやけに小さく見える。フルフェイスのヘルメットの形状は、人のそれに似ていた。

  兵士はイサカを撃ち尽くすと弾を装てんしようとしたが、倉庫の影から同じ型の獣―――――ブエルと呼ばれるキメラが3体姿を現した。ブエルは発達した脚力によりすぐに距離を詰める。

  リロードが間に合わないと判断した兵士はイサカを捨てた。

  ブエルは兵士に飛び掛かる。裂けるほど開かれた口が兵士に迫る。

  兵士は拳を硬め回転して裏拳を打ち込み、ブエルを吹き飛ばした。

  続いて2体のブエルが飛び掛かるが、兵士は左フック、右アッパーで打ち落とした。

  鉄拳を打ち込まれたブエルは脳が潰れて即死している。

  兵士がショットガンを拾うと、暗闇から10体を超えるブエルが来た。

  手早く4発リロードし、兵士はブエルに発砲した。

  ブエルたちは左右に跳びそれを躱す。高速であるため散弾でも捕らえられない。

  相手の速度を理解している兵士は発砲と同時にイサカを捨てブエルに向かって地を蹴った。

  巨体からは想像出来ないほどのスピードでブエルに接近し、回し蹴りで仕留める。

  ブエルは兵士を取り囲もうとした。一斉に飛び掛かれば1体は噛みつける。どんな剛腕でも嚙み砕ける力がブエルにはある。

  しかし兵士がそれを許さない。軽快なフットワークで包囲されないよう立ち回り、自ら攻めてブエルを撲殺してゆく。ブエルは果敢に飛び掛かるも、避けられるか叩き落されるかいずれかの結末を迎えた。

  2分足らずで兵士は全てのブエルを仕留めた。すぐにイサカを拾い弾を込め耳を済ませる。銃声や衝突音、獣の咆哮が聞こえた。

  仲間が戦闘中であると判断し、兵士は駆け出したが。

  チャポン

  水音が聞こえたので足を止めた。海から聞こえたが波の音ではない。

  音がする方に視線の銃口を向けた。停泊している船は無く、ロープが絡みついたボラードがあるだけだ。

  確認するためボラードの近くへ行き下を覗き込むが、波打つ黒い海があるだけだ。海中にキメラがいたとしても探しようがない。

  音源の確認を諦めた兵士が踵を返した瞬間。

  「うお!?」

  海から青白い腕が伸びて兵士の足首を掴んだ。細いが力は強く、兵士は海に引き込まれる。

  「ちっ!」

  兵士は左手をボラードから垂れたロープに伸ばし、太い指で掴み取る。

  膝まで海に浸かったが、兵士の体は止まった。ロープは船の係留で使われるもやい結びであり、ほどけることはない。

  「野郎」

  兵士は右手のイサカを海に向けて発砲したが、右足を掴んだ腕は離れない。水で威力が殺された銃では倒せないようだ。

  兵士はイサカを陸に投げ、右手でもロープを掴み体を引き上げた。筋力は兵士が勝っており、順調に登ってゆく。

  だが。

  ブチッ!

  ロープが千切れた。新たに出現したブエルがロープを噛みちぎったのだ。

  兵士は海に吸い込まれた。

  海中に潜んでいたキメラは兵士の背後に密着し、両脚を胴体に撒きつけヘルメットを引き抜き、両腕で首を締め付けた。

  水中で背後からの締め技が決まり、キメラは勝利を確信した。

  だが兵士は諦めなかった。自身の首と胴を締め付けるキメラの腕と脚を、左右それぞれの指でつねりあげた。

  万力以上の力によって、キメラの肉がむしり取られた。

  「ゴボボボボボ!!!」

  激痛のあまりキメラの力が緩む。

  兵士はキメラを振りほどき体を反転させ、細長いキメラの頭部を右手で掴み、渾身の力で握り込んだ。

  巨大な手に秘められた握力は凄まじく、頭蓋骨もろとも脳は潰れた。

  兵士はキメラを海中に捨てると、防弾ベストを脱ぎ上へ泳ぐ。

  「ぶはっ!!」

  海上に出て大きく息を吸う兵士。黒毛で頭頂部が長いそれは、正しくゴリラである。

  窒息を免れたゴリラの獣人兵士は左右を見渡し、ステンレス製の梯子を見つけたのでそれを使って海から上がった。

  防弾ベストを脱いだため、上半身はインナー姿だ。体にフィットしているため筋肉と乳房の隆起が目立った。

  「あぶねぇ・・・・・・あのクソキメラ」

  口調が荒々しい筋骨隆々の獣人兵士の名は帆足 明(ほあし あきら)。BAT05部隊に所属している女性兵士である。男性に間違われることが多いのは、ゴリラ獣人であることだけが理由ではないだろう。

  明はイサカを投げた場所へ向かおうとしたが、行く手を阻むように無数のブエルが現れた。

  「うぜえんだよ」

  明は臆することなく駆け出した。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  「とまぁ、そんなわけで」

  BAT07基地地下1階Aブロック会議室にて。

  壁に設置された大型スクリーンに表示された写真を指して蛇獣人、緒方丈一が口を開いた。

  「今回05部隊が戦ったキメラがこいつら。どっちも新種じゃない」

  スクリーンに写った2体のキメラ。片方はブエルだ。

  もう片方は、骨格は人のそれだが手足が異様に長くアシダカグモのようだ。頭部も細長く口はひし形に開いている。

  「ちなみに、こいつらの名前なんだけど・・・・・・」

  丈一は会議室に集まった獣人兵士たち―――――03,07,08部隊の面々を見渡した。

  「瀞君、答えて」

  「え!?何で俺!?」

  「目が合ったから」

  「合ってねえよ!」

  「今日、21日だろ。君の誕生日じゃん」

  「違うし!俺1月生まれ!」

  「理由はいいから答えて」

  「えぇっと・・・・・・小さいやつは、ブエル、で。細長くてキモいのは・・・・・・」

  瀞の中には二通りの答えがあった。

  スティンガーか、ストーカーか。

  どっちだ?

  「はい。ブエルとスティンガーでしょ」

  迷う瀞を差し置いて、隣の風丸が答えた。

  「正解」

  「これくらい分かれよ、瀞」

  風丸は“どうだ”と言わんばかりの顔を瀞に向けた。

  「いや、俺も分かってたから、答えようとしたんだよ。でもお前が先に言うから」

  弁明する瀞に、03部隊の机から志龍と純心の声が飛んできた。

  「本当に分かってたのかよ」

  「即答出来ない時点でダメだろ」

  不快な笑みを向ける三人に瀞が反論しようとすると。

  「緒方、続けろ」

  和虎がそれを制するように言った。

  「ああ、ごめん」

  丈一は手元のタブレットを操作し始めた。

  (風丸の野郎、最近キメラの資料読みまくってるからな。俺も読もう)

  やがて、スクリーンに港の写真が映された。05部隊の戦闘後らしく、ブエルとスティンガーの死体が転がっている。

  「こいつらの目撃情報を頼りに調査を進め、港に05部隊を派遣したところ、ブエルが50頭、スティンガーが10頭もいた。ブエルは小型で、スティンガーはでかいけど狭い通路や隙間にももぐりこめる。どうやら、船の積み荷のコンテナの中に隠れていたらしい」

  丈一が再びタブレットを操作すると、中年男性の顔が映る。

  「05部隊が港に行ったとき、キメラのほかに銃で武装した男たちが五人いた。四人は既に死体になっていたけど、一人だけ救助が間に合った。で、こいつを尋問したところ、キメラが入っていたコンテナがどういうルートで港に着いたか分かった」

  「キメラの出所が分かったのか」

  「ああ」

  和虎の問いに頷き、丈一がタブレットを操作した。

  「こいつは、キメラがコンテナから逃げた可能性があるから調査してこいって言われただけだった。命令したのは誰なのかは結局分からない。でも、キメラが入ったコンテナを取り扱っていた会社は分かった。豊肥貿易株式会社、という会社だ」

  スクリーンに豊肥貿易の情報が映る。北九州に本社を置く貿易会社だ。

  「そこの会社を調査したんだけど、本社には何もなかった。これは架空の会社だ。法人税とかの申告と納税はちゃんとしてるんだけどね。従業員も全員架空だ。従業員の住所を調べて行ってみたけど、どの家も人が住んでいた痕跡がない」

  「その会社が、キメラの運搬役だったってことか?」

  氣雷の問いに、丈一が頷いた。

  「おそらくね。詳しいことはまだ調査中だけど、キメラ事件とは無関係ってことはないだろう。現在、この会社をでっちあげ、男たちを雇っていた人物は誰なのか調査中だ。こっちのことは、今後も調査班に任せるとして」

  スクリーンに日本地図が表示され、とある箇所が拡大されていく。種子島の南東、宮崎県延岡市の真南に位置する場所に。海しかないと思いきや、そこには小さな島があった。南北に伸びるいびつな楕円形で、北東にでっぱりがありL字を逆さにしたように見えなくもない。

  「神原島(こうばるとう)。神様の神に、原っぱの原で神原だ。大きさは約400平方キロメートルで、気候は熱帯。小さな無人島だ。キメラのコンテナを積んでいたと思われる船のルートを調査したところ、この島に行ったことがあるらしい」

  丈一はタブレットを机に置き、獣人達に視線を向けた。

  「この無人島はかつて、ある宗教法人が購入してシェルターを建設したんだ。最終戦争に備えてとか、そういう理由らしい。その後、島の所有者は転々としていたんだが、現在の所有者は豊肥貿易の代表取締役だ。ここに豊肥貿易の、つまりはキメラ事件の手がかりがあると見ていい」

  獣人たちの顔が引き締まった。

  「調査班を乗り込ませようって話になったんだが、もしかしたらここは敵のアジトだ。キメラがわんさかいるかもしれない。人間だけじゃ心許ない。そこで、獣人を派遣することが決定された」

  丈一と瀞の目が合った。丈一は意図してこちらを見たのだと瀞は確信し、高揚した。

  敵の本拠地に乗り込むことができるのだ。苛烈な戦闘になることは間違いないが、キメラを開発している組織に大打撃を与えられるかもしれない。そう思うと、戦意が湧き上がってくる。

  (こういう機会はもっと先になると思ったけどな)

  純心が質問した。

  「でも、この島けっこう広いですよ。一つの町くらいあるのに、俺たちだけでやるんですか?」

  「いいや。流石に12名で島一つ攻略しろとは言わないよ。敵の抵抗も激しいだろうしね。だが、本土の守りを手薄にするわけにもいかない。そこで、2つの部隊を本土に残し、7つの部隊を3グループに分けて神原島に派遣することになった。」

  スクリーンに映った神原島が三色に染まった。

  「赤色に染まった北部エリアには、04,06,09部隊で構成したαチーム。黄色の中部エリアは02,05部隊のβチーム。そして青色の南部エリアは03,07部隊のγチームに担当してもらう」

  「私たちは残るんですか?」

  「ああ。01部隊もね」

  空の問いに頷き、丈一は再びタブレットをタップする。神原島の東部、及び北東部が緑色に染まった。

  「αチームは北東にある海岸から上陸し、北部エリアを探索する。ちょっと広いから3つの部隊を当てた。βとγチームは一緒に東部の海岸から上陸して、そこで分かれて夫々が担当するエリアに行ってもらう。追って機動隊も上陸する予定だ。明日には上陸する全部隊を07基地に集めてブリーフィングをして、明後日の夜に上陸する」

  丈一は改めて全員を見渡し、再び瀞を見つめた。

  「これまでにない、かなり大規模な戦いになるよ。覚悟してほしい」

  瀞は唾を飲み込み、スクリーンの神原島を見つめた。二日後に自分はあの島にいる。そして、この事件の解決に貢献できるかもしれない。

  (不謹慎だけど、やる気出るな)

  瀞が仲間を見渡すと、どうやら自分と同じ気持らしいことが表情から伝わってきた。いつもは寝ている零も起きているし、ぼんやりしている陸の表情も鋭い。いつも通りなのは、京香くらいだ。

  「質問がある」

  熱くなる瀞の隣にいる和虎が口を開いた。

  「本土でキメラが出たら、08部隊と01部隊で対応するのか?」

  「ああ」

  「2つの部隊だけで大丈夫なのか?合同訓練もしていないから、連携も取れないはずだ」

  「最もな意見だ。でも、神原島に上陸する部隊の戦力をおろそかには出来ないし。ま、大丈夫だと思うよ。機動隊もいるし、いざとなったら、俺たち00部隊も出動するから」

  00部隊―――――瀞には聞きなれない言葉だ。しかし、先程キメラを答えられなかった手前、質問しづらい。

  (00部隊って言ったよな・・・・・・そういや、丈一さんってどの部隊にいるかとか、聞いたことなかったっけ。てか、00部隊ってなんだ?)

  「すいませーん、00部隊なんてありましたっけ?」

  瀞の気持を代弁するかのように、風丸が聞いた。

  「ああ、説明してなかったかな。入隊する時に渡す書類にちらっと書いてるだけだからなぁ」

  丈一が苦笑すると。

  「キメラ討伐に出動しない部隊だ」

  和虎が口を開いた。

  「じゃあ、なにしてるんすか?」

  「主な仕事はBAT要人の護衛だ。キメラの死体や、獣人の変身に必要となる薬品を運搬する時も、それに付いていくこともある」

  和虎の口調には棘があるように聞こえた。

  「機動隊でよくないっすか、それ。獣人は人目に付くし」

  追加された風丸の疑問には、丈一が答える。

  「大勢の武装した機動隊員を引き連れていたら、そっちの方が目立つだろ。獣人だったら、顔さえ隠せば一人で十分だし。キメラの死体とか薬品とかは絶対に盗まれちゃいけないから、俺たちが守るってわけ」

  (なるほど。獣人なら一人で人間の数十倍の戦力だもんな)

  瀞が納得していると、今度は氣雷の声が。

  「つまり、実戦経験は少ないってことなんじゃねえのか?キメラと満足にやり合えるのかよ」

  氣雷の声に棘はないが、からかうような言い方だ。

  「大丈夫だよ。俺たち、そこそこ強いから」

  「口じゃなんとでも言えるわな」

  「信じてよ、って言うしかないんだけど」

  「なんなら、試合するか?」

  「そういうのは、勘弁してほしいな」

  困る丈一に助け船を出そうと、瀞が立ち合がろうとするが。

  「俺は構わないぞ」

  凛とした声が会議室に響いた。

  入り口の方を見ると、長身で細身の鹿獣人が立っていた。

  「吉岡さん?」

  空が驚いて声を上げた。彼は自分に08部隊の副隊長に就くよう命じた鹿獣人、吉岡正義に間違いなかった。

  (そういや、08部隊の副隊長になる時、怖い鹿獣人に命令されたって言ってたっけ)

  瀞は吉岡と呼ばれた鹿を見て、納得した。顔たちは精悍で理知的だが、威圧的な空気を纏っている。和虎や氣雷のような獰猛さとは異なる、理性的な威圧感だ。

  「百聞は一見に如かずだ。直接身をもって教えてやれば文句は無いだろう」

  「教えてくれるのかよ、あんたが」

  「時間がない。この場でいいな」

  「ああ」

  吉岡が闊歩して氣雷の元へ向かう。氣雷は笑みを浮かべ立ち上がった。

  「氣雷さん」

  「え?え?ちょっマジ?」

  志龍の制止を無視して、氣雷も吉岡の元へ進む。

  (おいおいおい、マジでここでやるつもりかよ!?)

  獣人の身体能力を考慮すれば、素手の肉弾戦は危険すぎる。瀞が腰を上げようとすると、それより早く和虎が両者の間に割って入った。

  和虎が止めてくれると安堵する瀞。だが、和虎は吉岡を睨み拳を握った。

  「俺がやろう」

  「おいかずと、ぶっ」

  氣雷の頬を尻尾で叩き、和虎は拳を鳴らして吉岡へ歩き出した。

  「え、か、かず・・・・・・」

  「和虎隊長!」

  瀞だけでなく、全員が驚いた。部下の声には耳も貸さず、和虎は吉岡へ向かう。

  空が立ち上がった時、虎と鹿は互いの間合いにいた。

  両者は同時に仕掛けた。

  ドッ

  刹那の攻防。瀞には見えなかったが、確かに衝突音がした。

  ややあって、片方が跪いた。

  「うそ・・・・・・」

  風丸の心情が漏れた。崩れ落ちたのは和虎の方だった。

  会議室にいる大半の獣人が目を丸くしている中、吉岡は和虎を見下ろしていた。

  「満足したか?」

  吉岡の問いかけに対し、和虎は無言で睨み返す。

  「俺たちは動物じゃない。こんなことを考えても仕方がないが・・・・・・虎が鹿相手に跪いている構図は、滑稽だな」

  吉岡は悠然と会議室を後にした。

  1時間後、BAT07基地地下6階Aブロック食堂にて。

  和虎は豚骨ラーメンと向かい合っていた。

  レンゲでスープを掬い、舐めとる。酸味が足りないと感じ、カボスと柚子胡椒を大量に投入し、かき混ぜて30秒ほど待つ。再度スープを舐めて風味も熱さも適度だと判断した和虎は、ズルズルと音を立てながら麺を啜り始めた。

  「あれ、絶対イラついてるよな」

  「ああ」

  瀞と志龍は、和虎から離れた席で昼食を取っていた。

  「あんなこと言われたら腹立つけど、怒ることねぇだろ。自分から仕掛けたわけだし」

  「うん。和虎隊長、普段はあんな性格じゃないはずだんだけどな」

  そう言って、瀞は自問した。

  自分は和虎のことをどれほど知っているのだろうか。

  (そういや、隊長になるまえの和虎隊長のことって、全然知らねえよな。元々ああいう性格なのか?)

  敗北する姿も、それに苛立つ姿も、初めて見る姿だ。そんな姿は見たくなかった。

  「あんな性格だぜ、和虎は」

  そんな瀞の心を読みとったような口ぶりで、トレイ片手に氣雷がやってきた。

  「そうなんですか?」

  「ああ。キれやすくて、負けず嫌いで、俺から言わせりゃ、今の和虎の方が違和感あるぞ」「今の和虎隊長しか知らない俺には、そうは思えないですけど」

  「ま、なんにせよ、今の和虎には激励が必要だな」

  氣雷はトレイを瀞の隣に置き、和虎の背後に接近していく。

  そして。

  「いよう!!」

  和虎の後頭部をひっぱたいた。和虎の鼻先が豚骨ラーメンに突き刺さる。

  「あんなガリガリの優男に負けるなんて、ざまあねえな。俺なら勝てたぜ。ガードしたあいつの腕をへし折って、反撃も防御してな。まだまだ青いな、カズトラタイチョウ。部下が泣いてるぜ」

  和虎の肩を抱き、ニヤニヤと笑う氣雷。

  その顔に。

  「みぎゃあ!!」

  カボスの飛沫がかかった。和虎が握りつぶしたカボスから放たれたそれは、氣雷の目に入った。

  「すまん、わざとだ」

  和虎は舌先の豚骨スープをぺろりと舐めとり、未使用のカボスの皮をむいて頬張った。

  「だろうな!しっかりと俺の方にカボス向けやがったもんな!」

  氣雷は自身のトレイに腕を伸ばし、デザートの夏みかんを手にした。

  「お返しだ」

  氣雷は大きく腕を振りかぶった。

  その手首を高速で踏み込んだ和虎がつかみ取る。

  「ぷっ」

  和虎は口内のカボス汁を氣雷の顔に吹きかけた。

  「うぼほえあ!うごっ!うげえ!口に入りやがった!」

  「俺も最悪だ。目を狙ったんだが。お前と間接キスなんて辛すぎる」

  「こっちの台詞だ!」

  激しい舌戦を繰り広げる和虎と氣雷。

  (また和虎隊長の知らないところを見てしまった・・・・・・見たくなかったけど)

  「なぁ。瀞」

  志龍は隊長たちの舌戦は気にせず、真剣な表情だった。

  「お前、和虎さんと吉岡って人の試合、見えたか?」

  「いや」

  「俺も。00部隊って、かなり強いみたいだな」

  「ああ」

  志龍の表情につられて、瀞も真剣に先程の試合を振り返った。

  衝撃的な光景だった。自分が知る限り最強の獣人である和虎が、一瞬で倒されてしまったから。

  「吉岡さんもかなり若そうにみえたけど」

  「でも、かなり場数踏んでるだろうな。ああいう、速さと技術を活かした戦いは参考になる」

  小柄でパワー不足を痛感している志龍にとって、胸を打つ戦いだったようだ。

  それは瀞も同じだった。和虎の敗北は見たくなかったが、一方でさらなる強者がいるという事実に興奮している自分がいた。

  (丈一さんも、あれくらい強いのか?試合してみたいな)

  「なんというか・・・・・・世界は広いな」

  「ああ。頑張らないと。先ずは神原島だ」

  「そうだな。00部隊もいるし、俺たちはそっちに集中しないとな」

  神原島を制圧してキメラ事件を解決させても、自分は武術を続けるだろうと、瀞はそう思った。

  

  「ったく」

  トイレの洗面台にて、和虎は石鹸で顔のベタつきをようやく洗い落した。

  「お疲れ様です」

  「ん、ああ」

  隣の洗面台に、BAT機動隊、和田という若者が来て手を洗い始めた。

  否、その男は和田ではない。和田に成りすました別人だった。

  その男は、和虎と小声で会話を始めた。

  「吉岡とやりあったの?」

  「ああ。悔しいが完敗だ」

  「君たちは、獣人同士で戦う機会がないもんな。仕方ないよ」

  「それより、神原島の作戦、あれはどういうことだ?」

  「分からない。大規模な演習の可能性もあるけど、神原島でやるのはおかしい。気を付けて」

  そう言い、男はポケットティッシュを取り出した。

  「拭くのに使ってください」

  「すまん」

  和虎がティッシュを受け取ると、男はトイレから出た。

  顔の水滴を拭き取った和虎は個室に入り、受け取ったポケットティッシュの袋を引き裂き、折りたためられたメモ用紙を取り出した。

  はやる気持ちを抑え、和虎は用紙を開き中身を確認する。

  (何だと・・・・・・)

  和虎の心は、吉岡への怒りを塗りつぶす程の驚愕で染まった。

  同刻、神原島にて。

  作業着姿の奈多は、黙々と清掃を続けていた。

  (グールのおかげで死体処理はせずにすんだが、それでも苦労するな)

  床や壁に飛び散った血痕をモップで拭く、その繰り返しだ。長時間休まずに働き続けているが、長い廊下はまだ続く。四方に飛び散った赤い飛沫は、自分たちが犯した事の大きさを物語っている。

  (まるで、あの時のようだな)

  久方ぶりの凄惨な光景が過去の辛苦を呼び起こす。奈多はモップを取り替え、邪念を払うように眼前の血痕を拭った。

  「なーた」

  名を呼ばれ振り返ると、まだスーツ姿の宗麟が立っていた。

  「お疲れ様」

  「ありがとうどざいます」

  差し出された紙コップを受け取り、喉を潤す。邪念は完全に消えた。

  「向こうからやるよ」

  宗麟は上着を脱いで腕をまくり、予備のモップを手にした。

  「私に任せて休んでいてください」

  「君だけにやらせられなよ。ここは広いし」

  「頻繁に使う場所以外はゴブリンにやらせますから」

  「一緒にやりたいんだよ」

  宗麟は廊下の奥へ歩き出した。血だまりを踏みしめながら。

  「そう言えば、銀千代から連絡ないんだけど」

  「大方、外で残党狩りでしょう。あいつは掃除なんか手伝ってくれませんよ」

  「だろうね。こういう事こそ、一緒にやりたいんだけどな」

  宗麟の笑顔を見ていると、奈多の顔も自然と緩む。しかし、心だけは引き締めなければならなかった。

  「早く終わらせて、休もう」

  「ええ」

  羽を休めたいところだが、そんな余裕はなかった。

  現状を維持するためには不断の努力が必要だ。それを怠れば、平穏はすぐに崩れ去ってしまう。自分たちは、それを一度味わわされている。

  (すぐ準備しなければ)

  奈多の意識は、既に次の戦いに向けられていた。